ケイ士廉
邢 士廉(けい しれん)は中華民国、満州国の軍人。北京政府、奉天派の軍人で、後に満州国に属した。字は隅三。
初めは、奉天省立第一初級中学で学び、優れた学業成績を残した。1908年(光緒34年)に軍人の道に転じ、官費で日本へ軍事留学した。日本では、東京振武学校でまず学習した後、陸軍士官学校第8期騎兵科で学んだ(同期は楊宇霆、臧式毅)。1913年(民国2年)に帰国した。
『改訂 現代支那人名鑑』(1928年)
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プロフィール | |
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出生: | 1885年(清光緒11年) |
死去: |
1954年3月17日 中華人民共和国遼寧省撫順市 |
出身地: | 清盛京将軍管轄区奉天府承徳県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 邢士廉 |
簡体字: | 邢士廉 |
拼音: |
Xíng Shìlián |
和名表記: | けい しれん |
発音転記: | シン シーリエン |
ラテン字: | Hsin Shi-lien |
反応