サビーネ・アペルマンス

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サビーネ・アペルマンス(Sabine Appelmans, 1972年4月22日 – )は、ベルギー・アールスト出身の元女子プロテニス選手。長年にわたり、ベルギーのテニス界の先駆者として活動してきた選手である。自己最高ランキングはシングルス16位、ダブルス21位。WTAツアーでシングルス7勝、ダブルス4勝を挙げた。左利き。

1987年にプロ入り。1988年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのベルギー代表選手となる。1990年の全豪オープンで3回戦に進出し、この年に年末の世界ランキングを一気に22位まで上げた。それ以来、アペルマンスはベルギーの女子テニス界の先駆者として活躍を続けてきた。1991年11月にアメリカの「アリゾナ・クラシック」と「バージニア・スリムズ・オブ・ナッシュビル」で2週連続優勝を達成。日本のトーナメントにも数多く出場し、1991年と1992年の2年連続で「サントリー・ジャパン・オープン」の準優勝者になっている。1992年のジャパン・オープン決勝では、アペルマンスは伊達公子に 5-7, 6-3, 3-6 で敗れた。

アペルマンスの4大大会シングルス自己最高成績は、1997年の全豪オープンベスト8である。この大会で、アペルマンスは4回戦でスペイン2強豪の1人コンチタ・マルティネスを破ったが、準々決勝でマリー・ピエルスに敗れた。ベルギーはこの年にフェドカップでも好成績を挙げ、世界最上位の8ヶ国による「ワールドグループ」1回戦でスペイン・チームを5戦全勝で破ったが、2回戦(準決勝)でフランス・チームに敗れた。ダブルスでも1997年ウィンブルドン選手権でミリアム・オレマンスとのペアでベスト4に進出している。

1997年11月、アペルマンスはベルギーの女子テニス選手として史上初めて、世界ランキング上位16名のみが出場できる女子ツアー年間最終戦「チェイス選手権」(当時の名称)に出場した。1998年2月第3週のドイツ・ハノーファーの大会では、左膝の手術による8ヶ月のブランクから復帰したシュテフィ・グラフを準々決勝で破っている。

サビーネ・アペルマンス
基本情報
国籍 ベルギー
出身地 同・アールスト
生年月日 (1972-04-22) 1972年4月22日(47歳)
身長 168cm
体重 57kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1987年
引退年 2001年
ツアー通算 11勝
シングルス 7勝
ダブルス 4勝
生涯通算成績 493勝399敗
シングルス 346勝237敗
ダブルス 147勝162敗
生涯獲得賞金 $2,054,352
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1997)
全仏 4回戦(1991)
全英 4回戦(1996・97・2000)
全米 4回戦(1992・99)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(1991)
全仏 3回戦(1992)
全英 ベスト4(1997)
全米 3回戦(1991)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 16位(1997年11月24日)
ダブルス 21位(1997年8月25日)

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