ジェーン・ワイマン
ジェーン・ワイマン(Jane Wyman、1917年1月5日 – 2007年9月10日)は、アメリカ合衆国の映画女優。第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンの最初の妻。
第21回(1948年)アカデミー主演女優賞を受賞。
ミズーリ州セントジョセフ生まれ。誕生名はサラ・ジェーン・メイフィールド(Sarah Jane Mayfield)。父マニング・ジェフリーズ・メイフィールド(Manning Jefferies Mayfield、1895年–1922年)は製粉会社の工員で、母ホープ・クリスチャン(Hope Christian、1895年–1960年、愛称グラディス)は医院に勤務する筆記者兼事務員だった。8歳の時、彼女の両親が離婚届けを提出し、翌年父親が急死した。母はオハイオ州クリーブランドに移住したが、サラ・ジェーンは隣人だった里親のエマ(Emma、1866年–1951年)とリチャード・D・フォークス(Richard D. Fulks、1862年–1928年)夫妻の元で育てられ、正式な養女縁組はしなかったもののサラ・ジェーン・フォークスと名乗るようになった。
セントジョセフのラファイエット高校に在学中の1930年に、サラ・ジェーンはラジオ・シンガーとして働き始めた。このときの芸名はジェーン・ダレル(Jane Durrell)である。1932年に15歳で高校を退学した後、カリフォルニア州ハリウッドに移住し、マニキュリストや電話交換手といった雑業をしながら映画の端役を得るようになった。1936年ワーナー・ブラザースと契約し、より親しみやすいジェーン・ワイマンと改名し、念願の映画女優としてのキャリアをスタートさせた。ワーナーのA級映画やB級映画に出演し、中にはロナルド・レーガンと組んだ1938年のBrother Ratと1940年の続編Brother Rat and a Babyも含まれる。1940年にレーガンと結婚し、モーリーン(1941年–2001年)とクリスティーン(1947年誕生直後に死亡)をもうけ、マイケルを養子としたが1948年に離婚した。
『舞台恐怖症』(1950)予告編より
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本名 | Sarah Jane Mayfield | ||||||||||
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生年月日 | 1917年1月5日 | ||||||||||
没年月日 | 2007年9月10日(90歳没) | ||||||||||
出生地 | アメリカ合衆国ミズーリ州セントジョセフ | ||||||||||
死没地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州パームスプリングス | ||||||||||
身長 | 166 cm | ||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||
ジャンル | 映画・テレビ | ||||||||||
活動期間 | 1932年 – 1993年 | ||||||||||
配偶者 |
アーネスト・ユージーン・ワイマン(1933-1935) マイロン・ファッターマン(1937-1938) ロナルド・レーガン(1940-1948) フレッド・カーガー(1952-1955、1961-1965) |
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著名な家族 |
モーリン・エリザベス(娘) マイケル・エドワード(養子) |
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公式サイト | Jane Wyman actress tribute photos posters art | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『子鹿物語』 『ジョニー・ベリンダ』 『心のともしび』 『天はすべて許し給う』 |
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反応