ジャミロクワイ

ジャミロクワイ│無料動画│220px jay kay jamiroquai

ジャミロクワイ (Jamiroquai) は、イギリスのアーティスト。アシッドジャズの世界では最も成功したグループのひとつ。バンド形態をとるがリードボーカルのジェイソン・ケイのソロユニットであり、「ジャミロクワイ」はユニット名であると同時にケイのステージネームでもある。1992年にデビュー後、インコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ガリアーノ、コーデュロイ等の1980~年代のロンドンを本拠地とした面々と共に台頭。以降その音楽活動は、ポップ、ソウル、ジャズファンク、ロック、エレクトロニカ等ジャンルを限定しないもので、個性的な音楽的立ち位置を模索してきた。世界中で3500万枚以上の売り上げがある

シンガーソングライターのジェイソン・ケイ(ジェイ・ケイ、Jason Kay)がバンドメンバーを集め、1992年にデビュー。アーティスト名はアメリカ・インディアンのイロコイ族にちなみ (jam + Iroquois)、バッファローの角が生えた少年のロゴと共に、ケイが考案。レコード会社が契約したのがバンドを除外したケイのみであり、契約上はジャミロクワイという名のソロアーティストであるため、ケイ一人が前面に出てジャミロクワイ自体の責任を負う。当初よりバンドメンバーはケイに雇われる形でバンド形態を成している。ファーストシングルリリース以前から現在までにすべての楽器パートにおいてバンドメンバーは入れ替わっている。

1987年頃からドラムマシンのみでギグをしていたケイが、最初期曲「Natural Energy」をほんの数枚プレスした1989年の時点で「バッファローマン(日本ではメディシンマンとも呼ばれた)」のロゴは存在し、既にジャミロクワイ構想があったことがうかがえる。ディジリドゥ奏者のウォリス・ブキャナンはその頃から側にいた友人であった。ケイらは発掘したレア・グルーヴで踊る当時のクラブシーンに浸るようになっていた。

1991年、ケイがアシッドジャズ・レコーズに歌のテープを持ちこみ契約に至る。(多くの伝聞でブラン・ニュー・ヘヴィーズ(以下BNH)のボーカルオーディションを受けたとされているが、BNHのメンバーはその噂は事実ではないと否定している。)そこでは既に界隈でドラマーとして活動していたニック・ヴァン・ゲルダーが紹介され加わるなど、アシッド・ジャズの人脈をあげたバックアップが得られた。またBNHメンバーを含むシーンのミュージシャン達をも率いて、ジャイルス・ピーターソン(アシッドジャズ共同創業者)のDJクラブイベントなどでライブやオリジナル曲を披露することができ、評判となっていった。本格的にレコードデビューするにあたり自前の奏者が必要となり、もともとはアシッド・ハウスで活動していたキーボードのトビー・スミスは1992年、パンク・バンド歴のあるベースのスチュアート・ゼンダーはファーストシングルリリース以降のオーディション(1993年)で、それぞれ加入させた形である。

基本情報
出身地 イングランド ロンドン
ジャンル アシッドジャズ
ジャズ・ファンク
ポップ・ミュージック
ロック、エレクトロニカ
活動期間 1992年 –
公式サイト www.jamiroquai.com
メンバー ジェイソン・ケイ (Vo)
デリック・マッケンジー (Ds)
ソラ・アキンボラ (Per)
ロブ・ハリス (G)
マット・ジョンソン (Key)
ポール・ターナー (B)
ネイト・ウィリアムズ (Key/G)
ロレーン・マッキントッシュ (Backing-Vo)
ヘイゼル・フェルナンデス (Backing-Vo)
ヴァレリー・エティエンヌ (Backing-Vo)
旧メンバー トビー・スミス (Key)
ウォリス・ブキャナン (Didgeridoo)
サイモン・カッツ (G)
スチュワート・ゼンダー (B)
ギャビン・ダッズ (G)
ニック・ファイフ (B)
ニック・ヴァン・ゲルダー (Ds)
ダレン・ガリー aka DJ D-Zire (Turntable)
エイドリアン・レヴェル (Sax/Fl)
Howard Anderson
ウィンストン・ロリンズ (Tb)
ジョン・サーケル (Tp/F・Hr)
サイモン・カーター (Key)
Maurizio Ravalico
ディー・ルイス (Backing-Vo)

反応