ジョゼフ・J・クラーク

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“ジョッコー”ジョゼフ・ジェームズ・クラーク( “Jocko” Joseph James Clark, 1893年11月12日 – 1971年7月13日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。

インディアン部族チェロキーの出自であり、インディアンを含めたいわゆるネイティブ・アメリカンとして初めて海軍兵学校(アナポリス)を卒業した人物である。航空の道を進み、第二次世界大戦においては空母任務部隊を指揮して日本軍と対決した。大戦後の朝鮮戦争では中将に昇進し、第7艦隊を指揮した。「ピート」マーク・ミッチャー(アナポリス1910年組)から最も信頼を寄せられた任務部隊司令官であり、クラークもミッチャーに心酔した。また、上官に対して「言いたいことははっきり言う」性格の持ち主でもあり、第二次大戦中はその性格が吉と出て、ミッチャーに空母任務部隊司令官というポジションを与える遠因を作った

「ジョッコー」こと、ジョゼフ・ジェームズ・クラークは1893年11月12日、オクラホマ州プライヤー・クリーク(英語版)に、父ウィリアム・A・クラークと母リリー・ベリー・クラークあるいはメアリー・ポリウォード・クラークの間に生まれるチェロキー・ネイション(英語版)の出であるウィリアムはサリナ(英語版)の孤児院で教育を受けた人物であり、母は産後に亡くなった。クラークは成長するとヴィニタ(英語版)のウィリー・ハンセル・カレッジ、オクラホマ州立大学の前身であるオクラホマ農工大学を経て1913年にアナポリスに入学する。ところが、最終学年に達したところでアメリカが第一次世界大戦に参戦したため卒業が1年早められ、1917年に卒業。本来の卒業年次から「アナポリス1918年組」と呼称されたこの世代からは、クラークと同様に空母と縁を持ったトーマス・スプレイグとクリフトン・スプレイグ、ウィリアム・ハルゼー(アナポリス1904年組)の初期の参謀長マイルズ・ブローニング(英語版)、大西洋艦隊司令長官や大西洋連合軍最高司令官を務めたジェラルド・ライト(英語版)、そしてアメリカ海軍史上最年少の海軍作戦部長であるフォレスト・シャーマンらがいる[注釈 1]。ニックネームの「ジョッコー」は、このアナポリス時代に命名された

ジョゼフ・J・クラーク(1949年)
渾名 J.J.
ジョッコー(Jocko)
生誕 1893年11月12日
オクラホマ州 プライヤー・クリーク
死没 (1971-07-13) 1971年7月13日(77歳没)
ニューヨーク クイーンズ区 セント・オールバンズ
所属組織 アメリカ海軍
軍歴 1917 – 1953
最終階級

海軍大将

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