ジョナサン・エルリック
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ジョナサン・ダリオ・エルリック(ヘブライ語:יונתן דאריו ארליך, Jonathan Dario Erlich, 1977年4月5日 – )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のイスラエルの男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとしてよく知られ、2008年全豪オープン男子ダブルスで同じイスラエルのアンディ・ラムとペアを組んで優勝した。彼は普段からシングルスにはほとんど出場せず、ダブルスのみに活動を絞っている。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで2008年全豪オープンを含む18勝を挙げている。ATP自己最高ランキングはシングルス292位、ダブルス5位。身長180cm、体重78kg、右利き。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでアルゼンチン系ユダヤ人の両親の長男として生まれたエルリックは1歳の時にイスラエルのハイファに移住し、後にイスラエルに帰化。3歳からテニスを始め、7歳で初めてのトーナメントに出場した。少年時代はテニスと並んでサッカーもプレーしていたが、12歳の時に職業としてテニスを選択した。ジュニア時代はITFジュニアサーキットへの出場はあまり無かったが、唯一のグランドスラムジュニア参加大会となった1994年ウィンブルドン選手権男子ジュニアダブルスでベスト8の成績を残している。1996年にプロ入り。2000年から男子テニス国別対抗戦デビスカップイスラエル代表選手になり、2001年後半からダブルスでアンディ・ラムとペアを組み始めた。2003年から、エルリックとラムのペアは男子ツアーのダブルスで成績を伸ばし始め、2003年ウィンブルドン選手権男子ダブルスでヨナス・ビョルクマン/トッド・ウッドブリッジ組との準決勝に進んだ。2人は2004年アテネ五輪男子ダブルスにも第8シードで出場し、ドイツのニコラス・キーファー/ライナー・シュットラー組との準々決勝まで進出した。2005年全米オープン男子ダブルスでベスト8進出。
2006年、エルリックはラムとのダブルスで年間4勝を挙げ、世界ランキング上位8組のみに出場資格が与えられるATPツアー年間最終戦テニス・マスターズ・カップのダブルスにも初出場を果たす。2007年8月、エルリックはラムとともに「ユダヤ人スポーツ財団」を設立した。9月20日-23日にデビスカップ2007ワールドグループ・プレーオフが行われ、イスラエルはチリを「3勝2敗」で破り、世界最上位16ヶ国からなるワールドグループ昇格を決めた。デビスカップでは、イスラエルは「ヨーロッパ・アフリカゾーン」に振り分けられ、ワールドグループでのプレーは1994年以来となる。
2008年全豪オープン男子ダブルスで、エルリックとラムは第8シードから初の決勝戦に勝ち上がり、アルノー・クレマン/ミカエル・ロドラ組を7-5, 7-6のストレートで破って初優勝した。デビスカップ2008ワールドグループ1回戦で、イスラエルはスウェーデンと対戦した。エルリックとラムは第3試合のダブルス戦に順当に勝ったが、2勝2敗で迎えた最終第5試合のシングルス戦でイスラエルのハレル・レビがスウェーデンのヨナス・ビョルクマンに敗れたため、イスラエルはスウェーデンに2勝3敗で敗れた。9月のワールドグループ・プレーオフではペルーに4勝1敗で勝ち、ワールドグループ残留を決めた。またラムとは北京五輪でもダブルスでペアを組み、第3シードのイスラエル代表として2大会連続出場を果たしたが、1回戦でアルノー・クレマン/ミカエル・ロドラ組に4-6, 4-6のストレートで敗れた。9月には右肘を痛め為ツアーを離脱し手術を行った。
ジョナサン・エルリック
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基本情報 | |
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フルネーム | Jonathan Dario Erlich |
愛称 | Yoni (ヨニ) |
国籍 | イスラエル |
出身地 | アルゼンチン・ブエノスアイレス |
居住地 | テルアビブ |
生年月日 | 1977年4月5日(42歳) |
身長 | 180cm |
体重 | 78kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1996年 |
ツアー通算 | 18勝 |
シングルス | 0勝 |
ダブルス | 18勝 |
生涯獲得賞金 | 2,571,067 アメリカ合衆国ドル |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 優勝(2008) |
全仏 | 3回戦(2004・07・08・14) |
全英 | ベスト4(2003・15) |
全米 | ベスト8(2005) |
優勝回数 | 1(豪1) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 292位(1999年10月4日) |
ダブルス | 5位(2008年7月7日) |
反応