ジョン・ギールグッド
サー・ジョン・ギールグッド(Sir John Gielgud OM, 1904年4月14日 – 2000年5月21日)は、イギリスの映画・舞台俳優、演出家。ロンドン出身。重厚かつ緻密な演劇スタイルは歴史劇で広く生かされ、ハリウッド映画やブロードウェイでも活躍。1981年には、『ミスター・アーサー』でアカデミー助演男優賞を受賞した。
ロンドン生まれ。元来の姓はギェウグト(Giełgud)といい、父フランチシェク(Franciszek Giełgud)はポーランドからイギリスにやってきたカトリック教徒であり、一族は現リトアニア共和国西南部の街ゲルガウディシュキス(Gelgaudiškis)を所有していたシュラフタ(ポーランド=リトアニア共和国の貴族)であった。親類にはナポレオン戦争時代のワルシャワ公国将軍イグナツィ・ギェウグト、11月蜂起でポーランド軍指揮官を務めたポーランド立憲王国の将軍アントニ・ギェウグトといった愛国者がいる。
母方の祖母は女優のケイト・テリー(Kate Terry)。ケイトの妹エレン・テリーはイギリスの国民的女優として舞台で長らく活躍した。
10代より王立演劇学校で学び、1921年から舞台デビュー。シェイクスピア劇を得意とし長く親しまれた。ローレンス・オリヴィエは彼の門下であるほか、マーロン・ブランドも一時、ギールグッドに師事していた。重厚かつ緻密な演劇スタイルは歴史劇で広く生かされ、ハリウッド映画やブロードウェイでも追随を許さなかった。1960年代以降は映画においても存在感を発揮、1964年に『ベケット』でアカデミー助演男優賞ノミネート、1981年に『ミスター・アーサー』で同賞を受賞した。
ジョン・ギールグッド
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本名 | Arthur John Gielgud | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生年月日 | 1904年4月14日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2000年5月21日(96歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | イギリス ロンドン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
職業 | 映画・舞台俳優、演出家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | 映画、舞台 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
活動期間 | 1921年 – 1999年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『ジュリアス・シーザー』 『ベケット』 『オリエント急行殺人事件』 『ミスター・アーサー』 『プレンティ』 『シャイン』 『エリザベス』 |
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