ジョン・ヘンリー・タワーズ

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“ジャック”ジョン・ヘンリー・タワーズ(John Henry Towers 、1885年1月30日-1955年4月30日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。

タワーズはアメリカ海軍の海軍航空隊におけるパイオニアの一人であり、かつクラウンプリンス的存在。海のものとも山のものとも分からなかった「航空機」を海軍兵力の主力の一角にするため、「アメリカ海軍航空隊の父」ウィリアム・A・モフェット(海軍兵学校(アナポリス)1890年組)とともに奔走した。生粋の海軍パイロット出身者初の大将でもあり、戦艦信奉者が占めていた時期のアメリカ海軍において、航空の重要性を説いたパイロット出身将官の最上位者でもあった。1939年から1942年までの間はアメリカ海軍航空局(英語版)(航空局)局長として航空行政全般に辣腕を振るったが、「父」モフェット譲りの積極的な政治活動や自身の個性の強さなどが周囲から忌避され、第二次世界大戦期には艦隊司令官などのポストに就くことができなかった。第二次世界大戦終結後に退役したあとは、宇宙飛行研究や民間航空産業の助言者的存在となって、航空一筋の生涯を全うした。

“ジャック”こと、ジョン・ヘンリー・タワーズは1885年1月30日、ジョージア州ロームに生まれる。祖父はアメリカ連合国陸軍の連隊長で、父もアメリカ連合国陸軍の騎兵隊に所属していた経験があり、いわゆる「軍人一家」の家庭であるが、タワーズが生まれたころには農具販売業を営んでいた。はじめは軍人ではなく技師を志し、ジョージア工科学校に進学するも、寄宿舎の同居人の態度にたまりかねて退学し、海軍兵学校(アナポリス)に改めて進学する。1906年にアナポリスを卒業し、卒業年次から「アナポリス1906年組」と呼称されたこの世代の同期には、フランク・J・フレッチャー、ジョン・S・マケイン・シニア、オーブリー・フィッチ、ロバート・L・ゴームレーらがいる[注釈 1]。1908年に少尉に任官したタワーズは戦艦「ケンタッキー」乗り組みを経て、1911年に戦艦「ミシガン」乗り組みとなり、弾着観測を担当する。アメリカ戦艦の一種の特徴だった籠マストの頂部から観測を行うのがタワーズの役目だったが、高い場所とはいえ観測できる範囲には限度があった。タワーズは、弾着観測に関する疑問の答えを、当時は創世記の段階だった「航空」に求めた。

ジョン・H・タワーズ
渾名 ジャック
生誕 1885年1月30日
ジョージア州 ローム
死没 (1955-04-30) 1955年4月30日(70歳没)
ニューヨーク州 ジャマイカ地区
所属組織 アメリカ海軍
軍歴 1908 – 1947
最終階級

海軍大将

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