ジョージ・サンダース
ジョージ・ヘンリー・サンダース(英語: George Henry Sanders, 1906年7月3日 – 1972年4月25日)は、イギリスの俳優。兄のトム・コンウェイも俳優。
ロシア・サンクトペテルブルクにて生まれる。両親共にイギリス人で、父ヘンリーは製鋼業者、母マーガレットは園芸家だった。11歳の時、ロシア革命の勃発に伴い家族と共にイギリスに逃れる。
彼の兄と同じくブライトンにある男子校のインデペンデント・スクールブライトン・カレッジで学んだのち、マンチェスター工科大学に進み、織物を専攻する。卒業後は織物業に従事したのち、南米でタバコの投機事業を始めるが失敗してイギリスに帰国。仕事も無いので舞台俳優にでもなろうと発声のコーチを受け、ロンドンでショービジネスの世界に入り、1934年にノエル・カワード作の舞台に出演したのち、同年に端役として映画デビュー。
1936年にある映画会社と長期契約を結ぶも、撮影所が火事で消失、これを機にハリウッドに行き、20世紀フォックス社のスクリーンテストを受けた結果、1937年に『勝鬨』に出演、この出演で注目され、フォックスと長期契約。その後はもっぱら敵役を演じていたが、1941年にRKOの『The Falcon』シリーズの主役に起用される。以降はクレジット・タイトルがトップかもしくは2番目に出てくるほど、ハリウッドでも重要な俳優のひとりとなった。
生年月日 | 1906年7月3日 | ||||||
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没年月日 | 1972年4月25日(65歳没) | ||||||
出生地 | ロシア帝国、ペテルブルク | ||||||
死没地 | スペイン、バルセロナ | ||||||
国籍 | イギリス | ||||||
配偶者 |
スーザン・ラーソン(1940 – 1949) ザ・ザ・ガボール(1949 – 1954) ベニタ・ヒューム(1959 – 1967) マグダ・ガボール(1970 – 1971) |
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反応