スベトラーナ・クズネツォワ
スベトラーナ・アレクサンドロヴナ・クズネツォワ(Svetlana Kuznetsova, ロシア語: Светлана Александровна Кузнецова, 1985年6月27日 – )は、ロシア・サンクトペテルブルク市出身の女子プロテニス選手。2004年の全米オープンと2009年の全仏オープン女子シングルス優勝者で、2005年と2012年の全豪オープン女子ダブルス優勝もある。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス3位。身長174cm、体重73kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。これまでにWTAツアーで、4大大会2勝を含むシングルス18勝、ダブルス16勝を挙げている。
クズネツォワは旧ソ連でも有名な自転車競技一家に生まれ育った。父親は著名な指導者、母ガリーナは元世界選手権優勝者、兄ニコライはアトランタ五輪銀メダリストであるが、スベトラーナは7歳から始めたテニスを職業に選んだ。ジュニア選手のトーナメントでは、2001年の全米オープンジュニア女子ダブルス優勝などの成績がある。2002年からWTAツアーで優勝できる力をつけ、シングルスで年間2勝、ダブルスで3勝を挙げた。この年はダブルスでアランチャ・サンチェス・ビカリオとペアを組み、東京・有明コロシアムの「トヨタ・プリンセス・カップ」の最後の開催で優勝したこともある。これらの成績により、クズネツォワは2002年度のWTAツアー「最優秀新人賞」を受賞した。
2003年には、ウィンブルドンで初のベスト8進出を決めた。この時は4回戦で(本大会をきっかけに注目度が急上昇した)マリア・シャラポワを破ったが、続く準々決勝で全仏オープン優勝者のジュスティーヌ・エナン・アーデンに 2-6, 2-6 で敗れた。ダブルスではベテランのマルチナ・ナブラチロワとペアを組んだ。
2004年の全米オープン決勝は、クズネツォワとエレーナ・デメンチェワによるロシア勢同士の対決となった。クズネツォワはデメンチェワを 6-3, 7-5 で破り、4大大会初優勝を達成した。2004年度の4大大会は、女子シングルスでロシア勢が世界を席巻した。全仏オープンでアナスタシア・ミスキナがロシアの女子テニス選手として最初の4大大会優勝者になった後、ウィンブルドンではマリア・シャラポワが17歳で初優勝を飾り、そして全米オープンではクズネツォワが優勝して、「3大会連続」でロシア人の女子チャンピオンが誕生した。エレーナ・デメンチェワは全仏オープン決勝でもミスキナに敗れているため、2度の準優勝に甘んじた。
スベトラーナ・クズネツォワ
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基本情報 | |
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フルネーム |
Svetlana Aleksandrovna Kuznetsova |
国籍 | ロシア |
出身地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、レニングラード |
生年月日 | 1985年6月27日(34歳) |
身長 | 174cm |
体重 | 73kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 2000年 |
ツアー通算 | 34勝 |
シングルス | 18勝 |
ダブルス | 16勝 |
生涯獲得賞金 | 25,014,327 アメリカ合衆国ドル |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | ベスト8(2005・09・13) |
全仏 | 優勝(2009) |
全英 | ベスト8(2003・05・07) |
全米 | 優勝(2004) |
優勝回数 | 2(仏1・米1) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 優勝(2005・12) |
全仏 | 準優勝(2004) |
全英 | 準優勝(2005) |
全米 | 準優勝(2003・04) |
優勝回数 | 2(豪2) |
国別対抗戦最高成績 | |
フェド杯 | 優勝(2004・07・08) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 2位(2007年9月10日) |
ダブルス | 3位(2004年6月7日) |
反応