セオドア・S・ウィルキンソン
“ピング”セオドア・スターク・ウィルキンソン(Theodore Stark Wilkinson, 1888年12月22日-1946年2月21日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は中将。名誉勲章受章者。1943年7月以降のソロモン諸島の戦いなどの上陸戦において、アメリカ海軍の両用戦部隊司令官の一人として活躍した。
階級と所属:アメリカ海軍、生地と年月日:1888年12月22日, アナポリス, メリーランド、推薦:ルイジアナ州第177番, 1915年12月4日付、他の受章歴:殊勲章, 金星章
1914年4月21日及び22日のベラクルスにおける戦闘において、ウィルキンソン少尉は両日の戦闘に参加し、熟練して勇敢なリーダーシップを発揮して卓越して顕著である行為が認められた。
“ピング”こと、セオドア・スターク・ウィルキンソンは1888年12月22日、メリーランド州アナポリスで、アーネスト・ウィルキンソン海軍少尉の息子として生まれる。1905年に海軍兵学校(アナポリス)に入学し、1909年に首位の成績で卒業した。アナポリス時代はスポーツに長け、ニックネームの「ピング」は、特にテニスや卓球を得意としていたことから名づけられた。卒業年次から「アナポリス1909年組」と呼称された世代からはレイテ沖海戦におけるスリガオ海峡夜戦で戦艦部隊を指揮したジェシー・B・オルデンドルフ、戦艦「ノースカロライナ」初代艦長オーラフ・M・ハストベット、初代海軍作戦部長のウィリアム・S・ベンソンを父に持つ戦艦「ワシントン」初代艦長ハワード・H・J・ベンソンらがいる[注釈 1]。
アナポリス卒業後、ウィルキンソンは候補生として2年間の海外勤務の義務のため、戦艦「カンザス」 (USS Kansas, BB-21) および「サウスカロライナ」 (USS South Carolina, BB-26) 乗り組みとなる。1911年6月5日に少尉に任官後、ワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学に籍を置きながら海軍省兵站局に勤務し、1913年7月25日に戦艦「フロリダ」 (USS Florida, BB-30) に配属され、再び国外での任務に就く。時はメキシコ革命の最中、「フロリダ」もベラクルスに派遣される。1914年4月21日から22日にかけて、ウィルキンソンは「フロリダ」の第2陸戦隊を率いてベラクルスでの戦闘に加わって税関を占領。「熟練して勇敢なリーダーシップを発揮し、卓越して顕著である行為」が認められて名誉勲章を授与された。この時、ウィルキンソン以外に名誉勲章を授与された者の中には、空母任務群を指揮したフランク・J・フレッチャー(アナポリス1906年組)や室蘭艦砲射撃を行ったオスカー・C・バジャー2世(アナポリス1911年組)、アメリカ海軍航空隊の礎を築いたウィリアム・A・モフェット(アナポリス1890年組)などがいる。
セオドア・S・ウィルキンソン(1944年)
|
|
渾名 | “Ping” (ピング) |
---|---|
生誕 |
1888年12月22日 メリーランド州 アナポリス |
死没 |
バージニア州 ノーフォーク |
1946年2月21日(57歳没)
所属組織 | アメリカ海軍 |
軍歴 | 1909 – 1946 |
最終階級 | 海軍中将 |
除隊後 | (現役中に死去) |
反応