セドリック・ピオリーン
セドリック・アドリアン・ピオリーン(Cédric Adrien Pioline, 1969年6月15日 – )は、フランス・ヌイイ=シュル=セーヌ出身の男子プロテニス選手。1993年全米オープンと1997年ウィンブルドン選手権準優勝がある。シングルス自己最高ランキングは5位。ATPツアーでシングルス5勝、ダブルス1勝を挙げた。身長187cm、体重79kg、右利き。フランス語の読みにより近い「ピオリーヌ」という表記も多く見られる。プレースタイルはオールラウンダー。
ピオリーンは16歳という非常に遅い年齢からテニスを始めたが、極めて高い運動能力の持ち主だった。1989年に20歳でプロ入りし、1991年に世界ランキングトップ50位以内に入る。1993年ウィンブルドン選手権で初のベスト8に入り、同年の全米オープンで第15シードから決勝進出を果たす。この大会で、ピオリーンは4回戦で第1シードのジム・クーリエを7-5, 6-7, 6-4, 6-4で破る波乱を演じたが、決勝でピート・サンプラスに4-6, 4-6, 3-6のストレートで完敗した。この年は男子ツアーで5度の準優勝があり、初めて世界ランキングトップ10入りを果たしている。1995年ウィンブルドン選手権で2年ぶり2度目のベスト8に入ったが、準々決勝でボリス・ベッカーに3-6, 1-6, 7-6, 7-6, 7-9で惜敗した。2セット先取されてから、第3・第4セットのタイブレークを連取して最終第5セットに持ち込んだが、フランス人挑戦者の執念は実らなかった。
1996年3月、ピオリーンはようやくコペンハーゲン・オープンで待望のツアー初優勝を実現させた。1997年ウィンブルドン選手権で4年ぶり2度目の4大大会決勝進出を果たした。ピオリーンは準決勝で1991年の優勝者ミヒャエル・シュティヒを6-7, 6-2, 6-1, 5-7, 6-4のフルセットで破っている。シュティヒはこの大会を最後に現役を引退した。しかし決勝ではまたもやピート・サンプラスに4-6, 2-6, 4-6のストレートで敗れ、4大大会で2度目の準優勝に終わった。1998年は地元の全仏オープンで初のベスト4に進出したが、準決勝でアレックス・コレチャに3-6, 4-6, 2-6で敗れた。ウィンブルドン選手権では1999年にもベスト8に進出し、1993年・1995年・1997年(準優勝)・1999年と2年おきに準々決勝旬出を果たしている。2000年にツアーで年間2勝を挙げた。
ピオリーンの現役生活を通じて、サンプラスには極端に苦手意識が強く、9度の対戦で1度も勝てなかった。2002年のシーズンを最後に現役を引退し、35歳以上の現役引退選手を対象とするATPチャンピオンズツアーに参戦した。
セドリック・ピオリーン
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基本情報 | |
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フルネーム | Cédric Adrien Pioline |
国籍 | フランス |
出身地 | 同・ヌイイ=シュル=セーヌ |
生年月日 | 1969年6月15日(50歳) |
身長 | 187cm |
体重 | 79kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1989年 |
引退年 | 2002年 |
ツアー通算 | 6勝 |
シングルス | 5勝 |
ダブルス | 1勝 |
生涯通算成績 | 430勝368敗 |
シングルス | 389勝318敗 |
ダブルス | 41勝50敗 |
生涯獲得賞金 | $6,921,029 |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 4回戦(1998) |
全仏 | ベスト4(1998) |
全英 | 準優勝(1997) |
全米 | 準優勝(1993) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 1回戦(1990) |
全仏 | ベスト8(1989) |
国別対抗戦最高成績 | |
デビス杯 | 優勝(1996・2001) |
ホップマン杯 | 準優勝(1998) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 5位(2000年5月8日) |
ダブルス | 93位(2003年1月13日) |
反応