セルゲイ・タネーエフ

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セルゲイ・イヴァノヴィチ・タネーエフ(ロシア語: Сергей Иванович Танеев、ラテン文字転写例: Sergei Ivanovich Taneyev、1856年11月25日(当時ロシアで使用されていたユリウス暦では11月13日) – 1915年6月19日)はロシアの作曲家、ピアニスト、教育者である。作曲家のアレクサンドル・タネーエフは親類に当たる。姓はタネイエフ、タニェエフなどと表記されることもある。

ヴラディーミル出身。5歳からピアノを習い始める。9歳の時、一家でモスクワに移住し、モスクワ音楽院でピアノをランケルとニコライ・ルビンシテインに、作曲をピョートル・チャイコフスキーに学び、1875年に金メダルを得て卒業。卒業後はピアニスト、作曲家として活躍。レオポルト・アウアーとデュオを組んで演奏旅行を行う。1875年11月には、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のモスクワ初演でピアノを担当。1882年5月22日には同じくピアノ協奏曲第2番の世界初演を担当している。

1878年、モスクワ音楽院の和声および楽器法の教授となり、1881年には亡くなったニコライ・ルビンシテインの跡を継いでピアノ科教授も受け持った。そして1885年からは4年間院長も勤めた。彼の弟子にはアレクサンドル・スクリャービン、セルゲイ・ラフマニノフ、アレクサンドル・グラズノフ、セルゲイ・プロコフィエフ、ニコライ・メトネルなどがいる。

対位法の理論家としても知られ、著書には「可動的厳格対位法」、「カノンの研究」、ブレッスラーの「厳格対位法と楽式論」の翻訳などがある。また、チャイコフスキーのいくつかの未完作品(『アンダンテとフィナーレ』など)を補筆している。

基本情報
生誕 (1856-11-25) 1856年11月25日
出身地 ロシア帝国、ヴラディーミル
死没 (1915-06-19) 1915年6月19日(58歳没)
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家、ピアニスト
担当楽器 ピアノ

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