チャン・シャルケン
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チャン・シャルケン(Sjeng Schalken, 1976年9月8日 – )は、オランダ・リンブルフ州ヴェールト出身の元男子プロテニス選手。世界屈指の速度を誇る、強力な弾丸サーブを最大の武器にする“ビッグ・サーバー”タイプの選手である。自己最高ランキングはシングルス11位、ダブルス21位。ATPツアーでシングルス9勝、ダブルス6勝を挙げた。身長193cm、体重82kgの長身選手。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
チャン・シャルケンは4人兄弟の2番目の子供として生まれたが、一番上の兄はダウン症候群を患い、下の弟は15歳の時に癌で亡くなっている。そんな家庭環境の中で育った彼は、子供の頃から壁打ちでテニスを覚え、1994年全米オープンでジュニア男子シングルス部門を制し、この年に18歳でプロ入りした。1995年にツアー初優勝を記録し、1996年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップオランダ代表選手に選ばれる。
シャルケンは、2000年ウィンブルドン選手権3回戦でマーク・フィリプーシスと対戦し、最終第5セットではタイブレークを行わないため(すなわち、どちらかが2ゲーム勝ち越すまで試合を続行する)、当時の大会史上最多ゲーム記録となる「83ゲーム」と試合時間5時間5分の末にフィリプーシスが 4-6, 6-3, 6-7, 7-6, 20-18で勝利をもぎ取った。この試合が行われたウィンブルドンの2番コートは満席になり、入場できない多数の観客に取り囲まれ、場外からも見えるスコアボードの数字にどよめくほどの盛り上がりだったという。その3ヶ月後、シャルケンはジャパン・オープン・テニス選手権で初優勝を飾った。
シャルケンの4大大会シングルス自己最高成績は、2002年全米オープン準決勝進出である。この1回戦で、シャルケンはフィリプーシスと対戦していたが、フィリプーシスが第4セット終了の時点で試合を途中棄権した。勢いづいたシャルケンは一気に自己最高のベスト4まで勝ち進んだが、準決勝でピート・サンプラスに6-7, 6-7, 2-6のストレートで敗れた。(サンプラスは続く決勝戦でアンドレ・アガシを破り、現役最後の試合を4大大会通算「14勝」の優勝で飾った。)2002年から2004年まで、シャルケンはウィンブルドン選手権で3年連続のベスト8進出を記録した。ダブルスでは、2001年全米オープン男子ダブルスでポール・ハーフース(同じオランダの選手)と組んでベスト4に入ったことがある。
チャン・シャルケン
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基本情報 | |
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国籍 | オランダ |
出身地 | 同・リンブルフ州ヴェールト |
生年月日 | 1976年9月8日(42歳) |
身長 | 193cm |
体重 | 82kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1994年 |
引退年 | 2007年 |
ツアー通算 | 15勝 |
シングルス | 9勝 |
ダブルス | 6勝 |
生涯通算成績 | 420勝400敗 |
シングルス | 292勝267敗 |
ダブルス | 128勝133敗 |
生涯獲得賞金 | $5,192,798 |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 4回戦(2004) |
全仏 | 3回戦(1999・2002・03) |
全英 | ベスト8(2002-2004) |
全米 | ベスト4(2002) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 3回戦(2002) |
全仏 | 2回戦(1996・2001) |
全英 | ベスト8(2001) |
全米 | ベスト4(2001) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 11位(2003年4月21日) |
ダブルス | 21位(2002年5月20日) |
反応