ティム・ダンカン

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ティモシー・セオドア・ダンカン(Timothy Theodore Duncan、1976年4月25日 – )はアメリカ領ヴァージン諸島セント・クロイ島クリスチャンステッド出身の元バスケットボール選手。身長211cm、体重114kg。ポジションはパワーフォワード。NBAのサンアントニオ・スパーズ一筋19年にわたり活躍し、スパーズに5度のNBAチャンピオンをもたらした。2019–20 シーズン
からサンアントニオ・スパーズのアシスタントコーチを務めている。

ウェイク・フォレスト大学時代にカレッジバスケの個人賞を総舐めにした後、1997年のNBAドラフトにてサンアントニオ・スパーズから全体1位指名を受けてNBA入り。以後スパーズの黄金期を築き上げ、NBAファイナルを5回制覇。個人としてもNBAルーキー・オブ・ザ・イヤー、シーズンMVP受賞2回、ファイナルMVP受賞3回、デビューしてから2010年まで13シーズン連続で、オールNBAチーム、NBAオールディフェンシブチーム、オールスター(ロックアウトの影響で開催されなかった1999年を除く)に選ばれ続けた。プレイに華やかさはないため「地味」というイメージが付き纏うが、その圧倒的な実績から史上最高のパワーフォワードとの呼び声も高い。基本に忠実なプレースタイルからThe Big Fundamentalの愛称で知られる。

ティモシー・セオドア・ダンカンはメキシコ湾と大西洋の境に浮かぶアメリカ領ヴァージン諸島(アメリカ合衆国の保護領)のセント・クロイ島で、石工職人の父ウィリアムと助産婦の母イオンの間で生まれた。姉が2人おり(シェリルとトリシア)、姉の影響でダンカンは幼なじみのラジャ・ベルらと共に水泳を始め、トリシアのようなオリンピックレベルの選手になることを夢見た。家族の支えもあってダンカンの水泳の腕は上達し、自由形50m、100m、400mの1992年バルセロナオリンピックアメリカ代表入りを目指し、ヴァージン諸島代表としてジュニアオリンピックにも出場している[10]。しかし1989年に巨大ハリケーン(ヒューゴ)が島を襲い、島で唯一国際大会レベルの競泳が可能なプールが使用不能になってしまったことでダンカンは水泳への情熱を失ってしまった[11]。不幸は続き、彼が14歳の時に母を乳がんで失い、大きな精神的痛手を受けた。バスケットボールを始めたのは中学3年生の時、義理の兄弟の影響を受けてからで、後にバスケット界の頂点を極める選手としては遅いキャリアのスタートであり、始めたての頃はバスケットへの順応に苦労したようである。セント・クロイ・カントリー学校の体育教師は当時のダンカンを「ティムはとても大きかった。大きくて高くて、でもその頃の彼はとても不器用だった」と回想している[12][13]

ダンカンはこの欠点をエスプコパル高校で克服。4年生の頃には平均25得点をあげる有望な選手となっており、いくつかの大学の関心を引いた。16歳の時にはNBAスターのアロンゾ・モーニングとの5対5のピックアップゲームに参加する機会を恵まれており、この試合を見ていたウェイク・フォレスト大学バスケットボール部コーチのデイブ・オドムがダンカンに大きな興味を持った。当時彼はインサイドでフィジカルにプレイできるビッグマンを探しており、ダンカンはその要求に十分応えられる逸材だった。ダンカンのもとにはハートフォード大学、デラウェア大学、プロビデンス大学からの勧誘もあったが、ダンカンはウェイク・フォレスト大学デーモン・デーコンズに加わることを決めた。

ティム・ダンカン
Tim Duncan
2011年のダンカン
サンアントニオ・スパーズ AC
役職 アシスタントコーチ
永久欠番 スパーズ  21 
ポジション(現役時) PF/C
背番号(現役時) 21
身長(現役時) 211 cm (6 ft 11 in)
体重(現役時) 113.5 kg (250 lb)
*ドラフト時249lb→最大260lb→現在250lb
ウィングスパン(現役時) 224cm  (7 ft 4 in)
シューズ アディダス
基本情報
本名 Timothy Theodore Duncan
愛称 Timmy
Big Fundamental
Basic Duncan
ラテン文字 Tim Duncan
誕生日 (1976-04-25) 1976年4月25日(43歳)
アメリカ合衆国
アメリカ領ヴァージン諸島
出身地 アメリカ領ヴァージン諸島
セント・クロイ島
出身 ウェイク・フォレスト大学
ドラフト 1997年 1位サンアントニオ・スパーズ 
選手経歴
1997-2016  SAS  サンアントニオ・スパーズ
指導者経歴
2019- サンアントニオ・スパーズ(AC)
受賞歴
  • 5× NBAチャンピオン (1999, 2003, 2005, 2007, 2014)
  • 3× NBAファイナルMVP (1999, 2003, 2005)
  • 2× NBA最優秀選手賞 (2002–2003)
  • 15× NBAオールスターゲーム (1998, 2000–2011, 2013, 2015)
  • NBAオールスターMVP (2000)
  • 10× オールNBAファーストチーム (1998–2005, 2007, 2013)
  • 3× オールNBAセカンドチーム (2006, 2008–2009)
  • 2× オールNBAサードチーム (2010, 2015)
  • 8× NBAオールディフェンシブ・ファーストチーム (1998–2003, 2005, 2007–2008)
  • 7× NBAオールディフェンシブ・セカンドチーム (1998, 2004, 2006, 2009–2010, 2013, 2015)
  • ルーキー・オブ・ザ・イヤー (1997)
  • NBAオール・ルーキー・ファーストチーム (1997)
  • NBAオールスターシューティング・スター優勝 (2008)
  • USAバスケットボール男子年間最優秀選手 (2003)
  • スポーツ・イラストレイテッドスポーツマン賞 (2003)
  • NBAチームメイト・オブ・ザ・イヤー賞 (2015)
  • 最優秀カレッジ選手賞 (1997)
  • 2× NCAAオールアメリカンファーストチーム (1996,1997)
  • 3× NABC最優秀守備選手賞 (1995–1997)
  • 2× ACC最優秀選手賞 (1996–1997)
  • No.21 サンアントニオ・スパーズ永久欠番
  • No. 21 ウェイク・フォレスト大学永久欠番
キャリアスタッツ

NBA

得点 26,496 (19.0 ppg)
リバウンド 15,091 (10.8 rpg)
アシスト 4,225 (3.0 apg)
ブロック 3,020 (2.2 bpg)
Stats Basketball-Reference
Profile NBA.comプロフィール NBA.jp
代表歴
キャップ アメリカ合衆国 1995-2004
 

獲得メダル

アメリカ合衆国
オリンピック
2004 アテネ バスケットボール
バスケットボールアメリカ選手権
1999 サンフアン バスケットボール
2003 サンフアン バスケットボール
グッドウィルゲームズ
1994年 サンクトペテルブルク バスケットボール
ユニバーシアード
1995年 福岡 バスケットボール

反応