テオドル・レシェティツキ
テオドール・レシェティツキ(Teodor Leszetycki、またはTheodor Leschetizky、1830年6月22日 – 1915年11月14日)は、ウィーンで活躍したピアノ教師、作曲家、ピアニストである。
オーストリア帝国に属するガリツィア・ロドメリア王国のランツフート(現ポーランド領ワンツト)に生まれる。父親から音楽教育を受けるが、早くから神童として知られ、9歳でピアニストとして舞台に立つ。
その後まもなく一家はウィーンに移り、ウィーン音楽院でベートーヴェンの弟子であったカール・ツェルニーにピアノを、音楽理論家ジーモン・ゼヒターに作曲を師事。18歳のころにはウィーンで名の知られたピアニスト・ピアノ教師となっていた。
テオドール・レシェティツキの肖像版画
(フェルディナント・シュムッツァー、1911年) |
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基本情報 | |
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生誕 |
1830年6月22日 オーストリア帝国 ガリツィア・ロドメリア王国 ランツフート (現: ポーランド ポトカルパチェ県ワンツト) |
死没 |
ドイツ帝国、ドレスデン |
1915年11月14日(85歳没)
職業 | ピアノ教師、作曲家、ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
反応