デイビーボーイ・スミス・ジュニア
デイビーボーイ・スミス・ジュニア(Davey Boy Smith Jr.)のリングネームで知られるハリー・スミス(Harry Smith、1985年8月2日 – )は、カナダのプロレスラー。アルバータ州カルガリー出身。
WWEではデビッド・ハート・スミス(DHスミス)の名で活動しており、リングネームは「デビッド」がハリーの父のデイビーボーイ・スミスの本名から取っており、「ハート」は母ダイアナ・ハートの旧姓でありレスリング一家であったハート・ファミリーから取ったものである。シーシェパードの支持者でもある。
一族がプロレスに関わっているハート・ファミリーであったことから小さいころからプロレスに囲まれた生活を送っており、子どもの頃は従兄弟同士が集まって祖父スチュ・ハートの道場「ダンジョン」に忍び込んで遊ぶなどをしていた。父スミスが日本へ遠征して帰った時に買ってくれた日本のおもちゃやプロレス雑誌などを見て、日本にプロレスラーとしていきたいと興味をもつ。寿司が好物なのもこの頃の父の影響である。
8歳の時に「ダンジョン」への立ち入りが認められ、伯父のブルース・ハートやロス・ハート、帰国時の父から指導を受けた。1994年、8歳のときにカルガリーを拠点とするスタンピード・レスリングのロッキーフォード大会で、いとこのマッド・アニス(当時11歳)を相手に、本名のハリー・スミス名義でデビュー。3年後にマットが病気で亡くなった時、1996年10月のWWFカルガリー大会で、マット追悼チャリティーマッチとしてテッド・ハートと組んでいとこのタイソン・キッド組と対戦した。2000年に両親は離婚したが、2002年5月にはカナダのウィニペグで父のスミスとタッグマッチ、6人タッグマッチのチームを結成している。ところが1週間後に父のスミスが他界した。また、2年後には祖父のスチュが88歳で亡くなっている。2004年5月にはTJ・ウィルソン(現タイソン・キッド)とスタンビート・ブルドックスを結成し、この頃は当時北米地区のブッカーをしていた大剛鉄之助のトレーニングを受けており、2005年6月、WWEからのオファーを断り大剛のルートから新日本プロレスにハーリー “ブルドッグ” スミスの名前で参戦した。蝶野正洋が率いるブラック・ニュー・ジャパンと共闘を展開、新日本には3度来日している。
2014年
|
|
プロフィール | |
---|---|
リングネーム |
デイビーボーイ・スミス・ジュニア ハリー・スミス ブルドッグ・ハート デビッド・ハート・スミス DH・スミス ハーリー・スミス ハーリー “ブルドッグ” スミス |
本名 | ハリー・スミス |
ニックネーム |
ブルドッグ二世 カナディアン・ブルドッグ 稲妻二世 |
身長 | 196cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | 1985年8月2日(34歳) |
出身地 |
カナダ アルバータ州カルガリー |
所属 | フリー |
トレーナー |
ブルース・ハート デイビーボーイ・スミス |
デビュー | 1994年7月 |
反応