デレック・ベル
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デレック・ベル(Derek Reginald Bell、MBE 1941年10月31日 – )は、イングランドのミドルセックス州ピナー出身の元レーシングドライバーである。ベルはスポーツカーレースで高い成功を収め、ル・マン24時間レースで5勝を挙げた。また、フェラーリ、サーティース、テクノよりF1にも参戦した。
農場で育ったベルは、ペイガム湾近郊でオートキャンプ場(caravan site)の経営を手伝い、1964年に継父のバーナード・ヘンダーの勧めによりロータス・セブンでレースを始めた。翌年にはF3へステップアップしロータス・31をドライブした。1966年にロータス・41にマシンを変更すると、グッドウッドサーキットで初勝利を収め、1967年には7勝を挙げることに成功した。1968年、ベルはF2にステップアップし、継父の持つチャーチファームレーシングよりプライベーターとしてブラバム・BT23Cで参戦した。ここでベルは活躍を見せてフェラーリの注目を集め、モンツァでF1デビューを果たした。1969年にはシルバーストンのレースにフェラーリで参戦し、イギリスグランプリにはマクラーレンの4WD車、M9Aで参戦した。M9AのF1参戦はこのレースが唯一であった。
ベルはスティーブ・マックイーン主演の映画、栄光のル・マン(1970年)に多くのドライバーとともに出演した。ベルは撮影中に幸運にも難を逃れている。ベルのドライブするフェラーリ・512はあるシーンの撮影に入るところで突然出火した。ベルは車両が炎に包まれる直前に脱出することに成功し、軽い火傷を負っただけで済んだ。車両は大きな損傷を受けたが、後に再生された。
ベルは1970年のヨーロッパF2にも参戦し、マーチをドライブした。1972年にはテクノF1チームよりナンニ・ギャリのチームメートとして参戦した。その後はサーティースチームから何度も参戦したが、スポーツカーレースにおいても高い評価を得た。
デレック・ベル | |
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基本情報 | |
フルネーム | デレック・レジナルド・ベル |
国籍 | イギリス |
出身地 | 同・ミドルセックス州ピナー |
生年月日 | 1941年10月31日(77歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1968-1972,1974 |
所属チーム |
’68 フェラーリ ’69 マクラーレン ’70,’71,’74 サーティース ’72 テクノ |
出走回数 | 16 (9スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 1 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1968年イタリアGP |
最終戦 | 1974年カナダGP |
反応