トーマス・ミッチェル

トーマス・ミッチェル│無料動画│240px thomas mitchell in high barbaree trailer

トーマス・ミッチェル(Thomas Mitchell、1892年7月11日 – 1962年12月17日)は、アメリカ合衆国の俳優、劇作家。

1892年にニュージャージー州エリザベスのアイルランド移民の家庭に生まれる。地元のデイリー・ジャーナルの新聞記者から劇作家となり、1913年には俳優になることを決意する。名優チャールズ・コバーンとの出会いによりシェイクスピア作品で舞台経験を積み、1916年にブロードウェイで俳優としてデビューする。その後、自作がブロードウェイで上演されたのをきっかけに、自ら演出も手がけるようになる。フロイド・ディールと組んで何本かの脚本を書き、その中の作品『Little Accident』(1928年)が1930年に映画化されたのを機に、脚本家として映画界に入り、フレドリック・マーチ主演の『わたしのすべてを(英語版)』(1934年)をはじめ、いくつかの脚本を発表したのち、コロムビア映画社と契約、映画俳優として1936年の『クレイグの妻(英語版)』でデビューする(厳密にはフォックス・フィルム製作の1923年のサイレント映画『文明病(英語版)』が映画初出演作品であるが、その後『クレイグの妻』まで映画には出演していない)。

その後も『失はれた地平線』や『ハリケーン』といった大作に印象的な脇役として出演。そして1939年には、『駅馬車』の飲んだくれのブーン医師を演じてアカデミー助演男優賞を受賞したのをはじめ、『スミス都へ行く』の新聞記者、『コンドル』のリチャード・バーセルメスと対するパイロット、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リー扮するスカーレット・オハラの父親、といった脇ながらも重要な役を演じ、俳優としてこの年は当たり年となる。

以降も小柄ながら堂々とした押し出しとアイリッシュ系の味わい深い演技で、映画、舞台、テレビと息の長い活躍を見せた。テレビでは1952年度のエミー賞の主演男優賞を受賞。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームには映画分野とテレビ分野で星を持っている。また刑事コロンボを演じた最初の俳優としても知られる。

High Barbaree』(1947年)予告編より
生年月日 (1892-07-11) 1892年7月11日
没年月日 (1962-12-17) 1962年12月17日(70歳没)
出生地 アメリカ合衆国ニュージャージー州エリザベス
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズ
民族 アイルランド系アメリカ人
身長 178 cm
職業 俳優、劇作家
ジャンル 舞台、映画、テレビドラマ
活動期間 1916年 – 1962年
活動内容 1916年:ブロードウェイで俳優としてデビュー
1923年:映画初出演
1936年:映画俳優として本格的にデビュー
配偶者 レイチェル・バーンズ・ハーツェル(1937年 – 1939年)※離婚
アン・ステュアート・ブリューワー・ヒアー(1941年 – 1962年)※死別
主な作品
『駅馬車』『風と共に去りぬ』
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