ドミニク・フルバティ
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ドミニク・フルバティ(Dominik Hrbatý, 1978年1月4日 – )は、スロバキア・ブラチスラヴァ出身の男子プロテニス選手。4歳年上の同僚カロル・クチェラと並んで、長年にわたりスロバキアのテニス界をリードしてきた選手である。名前の「ドミニク」(Dominik)からついた“Dominator”(支配者)というニックネームを持っている。ATPツアーでシングルス6勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス12位、ダブルス14位。身長182cm、体重79kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
フルバティはスキーでも才能のある選手だったが、11歳の時から本格的にテニスに専念するようになった。1996年にプロ入りし、ATP最優秀新人賞を受賞する。1997年全豪オープンで4大大会にデビューし、いきなりピート・サンプラスとの4回戦まで勝ち上がった。19歳になったばかりのフルバティは、当時無敵の王者だったサンプラスに7-6, 3-6, 4-6, 6-3, 4-6とフルセットの激戦の末敗れ、若手の新鋭選手として期待を集め始めた。1998年8月にサンマリノ・CEPUオープンでマリアノ・プエルタを決勝で破り、ツアー初優勝を果たす。
フルバティの4大大会自己最高成績は、1999年全仏オープンベスト4進出である。この時フルバティは、2回戦で第1シードのエフゲニー・カフェルニコフを破った試合から快進撃を始め、4回戦でマラト・サフィンを、準々決勝ではマルセロ・リオスと強豪選手を連破して勝ち上がった。初めての準決勝ではアンドレ・アガシと対戦し、アガシがセット・カウント2-1とリードした第4セットの途中で、降雨のため試合が翌日に持ち越される。再開された第4セットでフルバティはアガシの前に力尽き、アガシはこの大会の優勝で宿願のキャリア・グランドスラムを達成した。
その後の成績は、2001年全豪オープン、2005年全豪オープン、2004年全米オープンベスト8進出がある。全米オープンで8強入りした2004年は、男子テニスツアーでも年間3勝を挙げ、年頭の1月にネクストジェネレーション・アデレード国際とハイネケン・オープンでの2週連続優勝があり、2月後半にオープン13でも優勝を飾った。フルバティはオリンピックのスロバキア代表選手としても、2000年シドニー五輪と2004年アテネ五輪と2008年北京五輪の3大会連続で出場した。
ドミニク・フルバティ
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基本情報 | |
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愛称 | Dominator (支配者) |
国籍 | スロバキア |
出身地 | 同・ブラチスラヴァ |
生年月日 | 1978年1月4日(41歳) |
身長 | 182cm |
体重 | 79kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1996年 |
引退年 | 2014年 |
ツアー通算 | 8勝 |
シングルス | 6勝 |
ダブルス | 2勝 |
生涯通算成績 | 509勝529敗 |
シングルス | 359勝318敗 |
ダブルス | 150勝211敗 |
生涯獲得賞金 | $7,070,095 |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | ベスト8(2001・05) |
全仏 | ベスト4(1999) |
全英 | 3回戦(2004) |
全米 | ベスト8(2004) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 2回戦(2000・06) |
全仏 | 3回戦(2000・02・06) |
全英 | ベスト8(2005) |
全米 | 3回戦(2000) |
国別対抗戦最高成績 | |
デビス杯 | 準優勝(2005) |
ホップマン杯 | 優勝(2005・09) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 12位(2004年10月18日) |
ダブルス | 14位(2000年11月13日) |
反応