ニキ・ラウダ

ニキ・ラウダ

アンドレアス・ニコラウス・”ニキ”・ラウダ(独: Andreas Nikolaus “Niki” Lauda、1949年2月22日 – 2019年5月20日)は、オーストリア出身のレーシングドライバー。

1975年、1977年、1984年のF1チャンピオン。「スーパーラット」「不死鳥」の異名があり、ミスが極めて少ない走りから「コンピューター」の渾名を持つ。実業家の一面もあり、引退後はF1チームの役職を歴任した。

生家はいくつもの製紙工場を所有する資産家で、長男として生まれた。1966年にニュルブルクリンクで開催されたドイツグランプリを観戦したのがきっかけで、レースへの道を進む決意をする。しかし、跡取りとして歩んで欲しかった家族はレース活動に協力的ではなかった。初レースは家族に内緒で参戦。いきなり2位に入り新聞のスポーツ欄に掲載されたため、その記事を見た父親が激怒してレース禁止を言い渡した。しかし次に出場したレースでは優勝してしまったことから『レーサーを辞めなければ、ラウダ家の持ち物を一切置いて、家から出て行け』とさらに父の怒りが増してしまった。それでもレースを続けたので暫く勘当されることとなった。後ろ盾のないまま自らスポンサー獲得の交渉も行い、金銭的苦労を重ねながらステップアップしていった。

ニキ・ラウダ
Niki Lauda
マクラーレン所属時代(1982年)
基本情報
フルネーム アンドレアス・ニコラウス・ラウダ
国籍  オーストリア
出身地 ウィーン
生年月日 (1949-02-22) 1949年2月22日
没年月日 (2019-05-20) 2019年5月20日(70歳没)
F1での経歴
活動時期 1971-1979,1982-1985
所属チーム ’71-’72 マーチ
’73 BRM
’74-’77 フェラーリ
’78-’79 ブラバム
’82-’85 マクラーレン
出走回数 177 (171スタート)
タイトル 3 (1975,1977,1984)
優勝回数 25
表彰台(3位以内)回数 54
通算獲得ポイント 420.5
ポールポジション 24
ファステストラップ 24
初戦 1971年オーストリアGP
初勝利 1974年スペインGP
最終勝利 1985年オランダGP
最終戦 1985年オーストラリアGP
テンプレートを表示

反応