ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
ハンス=ウルリッヒ・ルーデル(Hans-Ulrich Rudel, 1916年7月2日 – 1982年12月18日)は、第二次世界大戦中のドイツ空軍の軍人(航空機操縦員、幕僚将校)。ヨーロッパ東部戦線において、ソ連戦車500両以上と800台以上の車両(黙って出撃したり部下に戦果を譲ることがあったため実際にはこれ以上であり、正確な数は不明)を撃破する戦果を挙げた。また、少なくとも9機を空中戦で撃墜しているためエース・パイロットの一人にも数えられる。これらの戦功から、騎士鉄十字章の最高位の「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章」を授けられた。この勲章の受章者はルーデルただ一人である。
ルーデルは1916年7月2日、プロイセン王国東部・ニーダーシュレージエンのコンラーツヴァルダウ(Konradswaldau)で生まれた。父のヨハネス・ルーデルはルター派教会の牧師であり、その地域の教区長を務めていた。また、インゲボルク(Ingeborg)とヨハンナ(Johanna)という2人の姉がいた。8歳の頃に母親(マルタ・ルーデル)からもらったパラシュートの玩具で遊んでいる内に空を飛ぶことに興味を持ち、パイロットを目指し始めた。この時期には父の任地変更の為転校が度々あった。ラウバン(現ポーランド領ルバン)の人文系ギムナジウムに通ってアビトゥーアに合格した後、1936年12月に士官候補生としてベルリン近郊ヴィルトパーク・ヴェルターのドイツ空軍学校に100倍の競争率を突破して入学。戦闘機乗りを希望していたが卒業前に学内で流れた「卒業生は全員爆撃隊に編入されることになる」という噂と、卒業間近にバルト海沿岸の高射砲学校を訪れた際に、偶然その場に居合わせたゲーリングの「われわれは、新編成のシュトゥーカ爆撃隊のため、多くの青年将校を必要としている」という演説を聞かされたことですっかり噂を信じ込み、急降下爆撃隊に志願している(しかし、実際は卒業生のほとんどは希望した戦闘機隊に配属された)。
1938年6月にグラーツの第168急降下爆撃航空団第I飛行隊(I./Stuka-Geschwader 168、I./StG 168)に配属されることとなった。しかし、偵察隊に転属することになり、偵察機のパイロットとしてヒルデスハイムの空軍偵察訓練校で偵察写真撮影航法の訓練を受け、1939年1月に第121長距離偵察飛行隊(Fernaufklärungsgruppe 121、FAGr 121)に転属している。自伝によれば、これはStG 168の中隊長が“偏屈者”の厄介払いの為に転属させたのだと述べている。
アドルフ・ガーランド(後ろ)と共に
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渾名 | ソ連人民最大の敵・シュトゥーカ大佐・ルーデル閣下・東部戦線の鷲 |
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生誕 |
プロイセン王国 シュレージエン州コンラーツヴァルダウ (現: ポーランド、ドルヌィ・シロンスク県グジェンディ) |
1916年7月2日
死没 |
西ドイツ バイエルン州ローゼンハイム |
1982年12月18日(66歳没)
所属組織 | ドイツ空軍(Luftwaffe) |
軍歴 |
1936年 – 1945年 第168急降下爆撃航空団 第121長距離偵察飛行隊 第121軍第2軍地区偵察大隊 第3急降下爆撃航空団 第2急降下爆撃航空団 第2地上攻撃航空団 第103地上攻撃航空団 |
最終階級 | 大佐 |
除隊後 |
実業家 ドイツ帝国党党員 ロビイスト |
墓所 | ドイツ ドルンハウゼン |
反応