パウル・ハウサー
パウル・ハウサー(ドイツ語: Paul Hausser, 1880年10月7日 – 1972年12月21日)は、ドイツの軍人。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の組織親衛隊(SS)の戦闘部隊武装親衛隊(Waffen-SS)の将軍。最終階級は親衛隊上級大将及び武装親衛隊上級大将(SS-Oberstgruppenführer und Generaloberst der Waffen-SS)。柏葉・剣付騎士鉄十字章受章者。
ドイツ帝国領邦プロイセン王国ブランデンブルク州のブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルに生まれる。父はプロイセン軍人クルト・ハウサー(Kurt Hausser)少佐。母はその妻アンナ(Anna)(旧姓オット(Otto))。
父と同じくプロイセン軍人の道を進み、1892年にポンメルン地方ケスリン(de)にある士官学校に入学。1896年からベルリンのリヒターフェルデ(de)にあるプロイセン王国高級士官学校 (de)へ移り、1899年まで在学した。
パウル・ハウサー親衛隊中将及び武装親衛隊中将(撮影当時)
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渾名 | パパ (Papa) |
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生誕 |
ドイツ帝国 プロイセン王国 ブランデンブルク州 ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル |
1880年10月7日
死没 |
1972年12月21日 西ドイツ バーデン=ヴュルテンベルク州 ルートヴィヒスブルク |
(92歳)
所属組織 |
ドイツ帝国陸軍
ヴァイマル共和国陸軍 |
軍歴 | 1892年 – 1932年、1934年 – 1945年 |
最終階級 |
少将 (Generalmajor) 親衛隊上級大将及び武装親衛隊上級大将(SS-Oberstgruppenführer und Generaloberst der Waffen-SS) |
墓所 | ミュンヘン森林墓地 |
反応