パオラ・スアレス
パオラ・スアレス(Paola Suárez, 1976年6月23日 – )は、アルゼンチン・ペルガミーノ出身の女子プロテニス選手。ダブルスの名手としてよく知られる。長年にわたり、スペインのビルヒニア・ルアノ・パスクアルとペアを組んで活躍してきた。WTAツアーでシングルス4勝、ダブルス44勝(うち4大大会女子ダブルス8勝)を挙げた。自己最高ランキングはシングルス9位、ダブルス1位。シングルスでも2004年の全仏オープンでベスト4進出がある。身長170cm、体重62kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
ダブルス・ペアにはいろいろなタイプがあるが、スアレスとルアノ・パスクアルは10年以上ペアを組み、息を合わせてきた親友である。2人のペアが女子テニスツアーで勝つようになったのは、1998年のシーズンからであった。2001年の全仏オープンを契機に、2人のペアは4大大会の女子ダブルスで「8勝」を記録している。2002年は全仏オープンの女子ダブルス2連覇と、全米オープン女子ダブルス初優勝がある。全米女子ダブルスには、2004年まで大会3連覇を達成した。2003年全仏オープンと2003年ウィンブルドンの女子ダブルスでは、杉山愛とキム・クライシュテルスの組が“世界最強ペア”ルアノ・パスクアル&スアレス組の壁を破り、4大大会女子ダブルス2連覇の偉業を成し遂げた。しかし、クライシュテルスがシングルス優先の方針から杉山とのペアを解消する。スアレスとルアノ・パスクアルの組は、2003年の全米女子ダブルスで2連覇を果たすと、2004年度はダブルスでウィンブルドンを除く年間3冠を獲得した。2005年はスアレスの故障と、新たなライバルの登場もあり、2人のペアの勝利はやや減少したが、全仏オープンの女子ダブルスで2年連続4度目の優勝を飾った。
シングルスでのパオラ・スアレスは1994年全仏オープンから4大大会に挑戦を開始したが、長い間1・2回戦止まりが続いていた。彼女が初めてシングルスで好成績を出したのは、2002年の全仏オープン準々決勝進出である。この時は同じアルゼンチンのクラリサ・フェルナンデスに 6-2, 6-7, 1-6 の逆転で敗れた。2003年はウィンブルドンでシルビア・ファリナ・エリアと4回戦を戦い、全米オープンで2度目の4大大会8強進出を果たすが、リンゼイ・ダベンポートに 4-6, 0-6 で敗退した。
そして、2004年全仏オープンの女子シングルスで、スアレスはついに自己最高の準決勝進出を決めた。そこではロシアのエレーナ・デメンチェワに 0-6, 5-7 で敗れている。続くウィンブルドンでも前年の1ラウンド上に勝ち上がり、アメリ・モレスモとの準々決勝に進出した。2004年アテネ五輪にもアルゼンチン代表選手として出場し、シングルスでは2回戦でコロンビアのファビオラ・ズルアガに敗退したが、パトリシア・タラビーニと組んだ女子ダブルスで銅メダルを獲得している。この後、全米オープンでは3回戦で日本の浅越しのぶに 4-6, 4-6 で敗れた。
パオラ・スアレス
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基本情報 | ||||||||||
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フルネーム | Paola Lorena Suárez | |||||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||||||
出身地 | 同・ペルガミーノ | |||||||||
生年月日 | 1976年6月23日(43歳) | |||||||||
身長 | 170cm | |||||||||
体重 | 62kg | |||||||||
利き手 | 右 | |||||||||
バックハンド | 両手打ち | |||||||||
ツアー経歴 | ||||||||||
デビュー年 | 1994年 | |||||||||
引退年 | 2007年(2012年一時復帰) | |||||||||
ツアー通算 | 48勝 | |||||||||
シングルス | 4勝 | |||||||||
ダブルス | 44勝 | |||||||||
生涯通算成績 | 889勝431敗 | |||||||||
シングルス | 371勝239敗 | |||||||||
ダブルス | 513勝192敗 | |||||||||
生涯獲得賞金 | $5,217,775 | |||||||||
4大大会最高成績・シングルス | ||||||||||
全豪 | 4回戦(2001) | |||||||||
全仏 | ベスト4(2004) | |||||||||
全英 | ベスト8(2004) | |||||||||
全米 | ベスト8(2003) | |||||||||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||
全豪 | 優勝(2004) | |||||||||
全仏 | 優勝(2001・02・04・05) | |||||||||
全英 | 準優勝(2002・03・06) | |||||||||
全米 | 優勝(2002-04) | |||||||||
優勝回数 | 8(豪1・仏4・米3) | |||||||||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||||||||
全豪 | 準優勝(2002) | |||||||||
全仏 | 準優勝(2001) | |||||||||
全英 | 3回戦(2000・03) | |||||||||
全米 | 2回戦(2000・03・07) | |||||||||
キャリア自己最高ランキング | ||||||||||
シングルス | 9位(2004年6月7日) | |||||||||
ダブルス | 1位(2002年9月1日) | |||||||||
獲得メダル | ||||||||||
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反応