ビリー・ポール
ビリー・ポール(Billy Paul、本名Paul Williams、1934年12月1日 – 2016年4月24日)は、アメリカ合衆国のソウル歌手。
フィラデルフィア(フィリー)・ソウルを代表するミュージシャンの一人で、1972年の全米No1シングル・「Me and Mrs. Jones」で知られる。
ペンシルベニア州フィラデルフィアの1地区、ノース・フィラデルフィア生まれ。12歳の頃から歌い始め、地元のラジオ番組などに出演。家族のコレクションであったSP盤を聴いて育ったことが、後のジャズやR&B、ポップスを折衷したような独特のボーカル・スタイルを生み出す素地となった。
その後、テンプル大学とグラノフ音楽学校で正規の音楽教育を受ける。やがて彼の関心はロックからソウル、さらにポップ・バラードへと移り、間もなくフィラデルフィアのアンダーグラウンドのミュージック・シーンで知られる存在となっていく。ポールの人気はクラブや大学のステージでの活動を通じて全国的なものとなっていくが、そのことにより、チャーリー・パーカー、ダイナ・ワシントン、ニーナ・シモン、マイルス・デイヴィス、ザ・インプレッションズ、サミー・デイヴィスJr.、ロバータ・フラックと言った、第一線のミュージシャンと共演する機会を得ることが出来たことが、その後の飛躍へと大きく繋がることとなった。
ポールの最初のレコードは1959年にJubilee Recordsから3人組の一人としてリリースされた「Why Am I」で、その後兵役を経て、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ
に短期間在籍。1968年にギャンブル&ハフのプロデュースによる最初のフィリー・アルバム『Feeling Good at the Cadillac Club』を発表。1971年にフィラデルフィア・インターナショナル・レコードからリリースされた最初のアルバム(通算では3枚目)の『Going East』によってソウル・ミュージック・シーンで認められた存在となるが、何といっても彼に商業的・音楽的な大成功をもたらしたのは、翌年発表した『360 Degrees Of Billy Paul』と、同アルバムからシングル・カットされた「Me and Mrs. Jones」であった。
2006年4月
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基本情報 | |
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出生名 | ポール・ウィリアムス |
出身地 | ペンシルベニア州フィラデルフィア |
死没 | 2016年4月24日(81歳没) |
ジャンル | ソウル, R&B |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1959年 – 2016年 |
レーベル | フィラデルフィア・インターナショナル・レコード, エピック・レコード |
公式サイト | www.billypaul.com |
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