ピーター・フォンダ

ピーター・フォンダ(Peter Fonda、1940年2月23日 – 2019年8月16日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の俳優。父は名優ヘンリー・フォンダ、姉は女優ジェーン・フォンダであり、芸能一家で育つ。娘ブリジット・フォンダも女優として活躍している。
幼い頃、母親の自殺で父ヘンリーと不和となり、生涯しこりを残したといわれている。大学時代から演劇活動を本格化させ、卒業と同時にブロードウェイに進出する。1963年『タミーとドクター』で映画デビューを果たし、清純で一本気な青年役のキャラクターで売り出すも、商業ベースの作品に嫌悪感を抱く。さらに、自らが想い描く俳優像とは異なるエリート青年役が続いたことに疲弊し、次第に姉ジェーンの影響によりドラッグに冒され、精神的に困憊すると共に覚醒してゆく。そんなピーターの様子に興味を抱いたロジャー・コーマンは、1966年に自らが率いるアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)製作で実在するヘルズ・エンジェルスの生態を描いた低予算映画『ザ・ワイルド・エンジェルス』(共演ナンシー・シナトラ、ブルース・ダーン)に主演させる。当初は西海岸のみのヒットだったものの、次第に全米規模の大ヒットへとつながっていき、AIPは『オートバイ映画』(その後はAIPのみならず大手も参戦し粗製乱造される)という新たなる映画ジャンルを築いた。翌年にピーターは『白昼の幻想』(共演はアクターズ・スタジオの創設者リー・ストラスバーグの娘であるスーザン・ストラスバーグ)でデニス・ホッパーとジャック・ニコルソン(2人とも一連のオートバイ映画に出演していた)と出会って意気投合し、これが映画『イージー・ライダー』への布石となる。
俳優生活を通してピーターは浮き沈みの激しい人生を送る。それゆえか後年、彼を形容する言葉は常にピーターではなく「若き時はヘンリーの息子、その後はジェーンの弟、今ではブリジットの親父」という位置付けで扱われることが多い。
2010年トロント国際映画祭にて
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本名 | Peter Henry Fonda | ||||||||||
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生年月日 | 1940年2月23日 | ||||||||||
没年月日 | 2019年8月16日(79歳没) | ||||||||||
出生地 | ニューヨーク州ニューヨーク | ||||||||||
死没地 | カリフォルニア州ロサンゼルス | ||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||
職業 | 俳優 | ||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||
活動期間 | 1962年 – 2019年 | ||||||||||
配偶者 |
Susan Brewer (1961年 – 1972年) Portia Rebecca Crockett (1975年 – ) |
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主な作品 | |||||||||||
『イージー・ライダー』 『木洩れ日の中で』 |
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反応