フィリップ・ルクレール

フィリップ・フランソワ・マリー・ド・オートクロク(Philippe François Marie de Hautecloque、1902年11月22日 – 1947年11月28日)は、フランスの軍人。一般にはレジスタンス時代の変名「ジャック=フィリップ・ルクレール(Jacques-Philippe Leclerc)」で知られている。通常は「フィリップ・ルクレール・ド・オートクローク(Philippe Leclerc de Hautecloque)」と表記される事が多い。第二次世界大戦中に自由フランス軍第2機甲師団を率いてノルマンディー上陸作戦に参加し、パリ入城を果たしたことで知られる。

1902年北フランス、ピカルディ地方にあるバロイ=サン=レオナールの貴族の家に生まれた。現在のアミアン近郊ソンム県である。父アドリアン・ド・オートクローク伯爵、母ロマーノ伯アルノー・ジョセフ・ファン・デア・クルーズ・ド・ワジエの娘マリー・テレーゼ・ファン・デア・クルーズ・ド・ワジエの五男。オートクローク家はアルトワを発祥とし。800年以上続く名家である。フィリップの名は1635年にクロアチア人との戦いで戦死した先祖の名より付けられた。父アドリアンの兄と弟は騎兵将校でいずれも第一次世界大戦で戦死、またアドリアンも騎兵連隊のラッパ手として活躍した。こうした事からフィリップも騎兵への道を志すようになる。

小学校卒業後、アミアンにあるイエズス会系私立エコール・ド・ラ・プロビダンス (fr)のコレージュ[注釈 1]、ヴェルサイユの名門リセ・サント=ジュヌヴィエーヴ (fr)を経て[注釈 2]、1922年、サン・シール陸軍士官学校に入学。騎兵将校となった。第一次世界大戦後の戦間期には、第5胸甲騎兵連隊附として、ルール占領に伴いドイツのトリーアに進駐した。しかしフィリップにとってこの任務は好ましいものではなく、間もなく植民地部隊への異動を志願した。フィリップは第3次リーフ戦争の続くモロッコはタザ(英語版)の第8胸甲騎兵連隊附となる

なお、フィリップの兄がガーガン男爵家の娘と結婚した事からオートクローク家とガーガン家は家族ぐるみの付き合いがあり、その縁で1925年8月10日、兄嫁の妹テレーゼ・ド・ガーガンとルーアンの聖ジャンヌ・ダルク教会にて結婚式を挙げ、6人の子をもうけた

フィリップ・ルクレール
生誕 1902年11月22日
フランス共和国 ソンム県バロイ=サン=レオナール
死没 (1947-11-28) 1947年11月28日(45歳没)
フランス アルジェリア コロン=ベシャール
所属組織 フランス陸軍
自由フランス軍
軍歴 1924年 – 1947年
最終階級 陸軍大将
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