フォレスト・シャーマン
フォレスト・パーシヴァル・シャーマン(Forrest Percival Sherman, 1896年10月30日-1951年7月22日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。アメリカ海軍史上、最年少の海軍作戦部長。
空母任務群を指揮したフレデリック・C「テッド」・シャーマン中将(アナポリス1910年組)とは別人である。ここではフレデリックの方を「テッド・シャーマン」として表記する。
フォレスト・パーシヴァル・シャーマンは1896年10月30日、ニューハンプシャー州メリマックで教科書販売業を営む家庭に生まれる。長じてマサチューセッツ州に引越し、海軍軍人を夢見るも海軍兵学校(アナポリス)に入るためのアメリカ合衆国議会議員の推薦が得られず、一旦マサチューセッツ工科大学に進学し、推薦を得たあとの1914年にアナポリスに入学する。シャーマンの世代は第一次世界大戦参戦に伴って卒業が1年早められ、1917年に199名中2位の成績でアナポリスを卒業する。本来の卒業年次から「アナポリス1918年組」と呼称されたこの世代からはトーマス・スプレイグ、クリフトン・スプレイグ、ジョゼフ・J「ジョッコー」・クラーク、マイルズ・ブローニング、ジェラルド・ライトらがいる[注釈 1]。卒業後は砲艦ナッシュビル (USS Nashville, PG-7) 、駆逐艦マレー (USS Murray, DD-97) に乗り組んで大戦終結まで船団護衛に従事。大戦終結後は戦艦ユタ (USS Utah, BB-31) 副長、駆逐艦リード (USS Reid, DD-292) 乗り組みおよびバリー (USS Barry, DD-248) 艦長を歴任する。
生誕 |
1896年10月30日 ニューハンプシャー州 メリマック |
---|---|
死没 |
イタリア ナポリ |
1951年7月22日(54歳没)
所属組織 | アメリカ海軍 |
軍歴 | 1917 – 1951 |
最終階級 | 海軍大将 |
除隊後 | (現役中に死去) |
反応