ブルース・マッカンドレス

ブルース・マッカンドレス

ブルース・マッカンドレス1世(Bruce McCandless I, 1911年8月12日 – 1968年1月24日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は少将。名誉勲章受章者。

1942年11月12日から13日にかけてガダルカナル島沖で展開された第三次ソロモン海戦(第一夜戦)において、乗艦していた重巡洋艦「サンフランシスコ」 (USS San Francisco, CA-38) に日本艦隊からの砲弾が命中して上層部が軒並み戦死する中で生き残った士官として事態の収拾にあたり、艦を生き残らせようとする使命感と本来なら違法に値する行為をもって味方を救ったことが評価されて名誉勲章が授けられた。1984年のスペースシャトルミッション「STS-41-B」において、史上初めて命綱なしの宇宙遊泳を行ったブルース・マッカンドレス2世は息子にあたる。

中佐の乗る「サンフランシスコ」は1942年11月12日から13日にかけて展開されたサボ島沖の海戦で日本艦隊と交戦し、敵の砲弾は容赦なく浴びせかけられて中佐は負傷、司令官や幕僚、艦長その他も戦死するか負傷するにいたった。彼は回復するや否やイニシアチブを発揮し、速やかに艦の運動を指示して圧倒的な敵艦隊に立ち向かい、砲撃を命じた。司令官の戦死を知らない他の艦艇に対して巧みに指示を与え、中佐は重大な責任を負いつつ敵を追い払うことに成功し、偉大な勝利を味方にもたらした。「サンフランシスコ」は彼のシーマンシップと偉大な勇気に応えるかのように生き残り、国の戦いに再び参加するために港に戻された。[14]

ブルース・マッカンドレス1世は1911年8月12日、ワシントンD.C.に生まれる。マッカンドレス家は1860年代に無法者のギャング集団として悪名を轟かせていたマッカンレス・ギャング(英語版)に端を発する家であり、1861年にガンマンのワイルド・ビル・ヒコックによって一味がことごとく討たれてからはコロラド州フローレンスに移り、マッカンドレスと改姓していた。父のバイロン・マッカンドレス(英語版)(アナポリス1905年組)は海軍代将を務め、また旗章学の専門家としても知られていた。コロラド州からの推薦を受けてアナポリスに入学し、1932年に卒業。卒業年次から「アナポリス1932年組」と呼称されたこの世代の同期には、日本海における潜水艦作戦「バーニー作戦」の指揮官アール・T・ハイデマン、潜水艦「スペードフィッシュ」 (USS Spadefish, SS-411) 艦長として14隻撃沈を記録したゴードン・W・アンダーウッド(英語版)などがいる。

アナポリス卒業後、マッカンドレスは士官候補生を経て1935年に少尉に任官し、重巡洋艦「ルイビル」 (USS Louisville, CA-28) 乗組みとなって第11偵察飛行隊の砲術士官となった。1936年から1938年にかけては重巡洋艦「インディアナポリス」 (USS Indianapolis, CA-35) と駆逐艦「ケース(英語版)」(USS Case, DD-370) 乗組みとなる。1939年9月にアナポリスに戻って上級課程を修めたあと中尉に昇進し、「サンフランシスコ」に配属された。1941年12月7日の真珠湾攻撃によるアメリカの第二次世界大戦参戦後の1942年6月に少佐に昇進、「サンフランシスコ」は日本軍の脅威迫るソロモンの戦線に向かうこととなり、1942年8月の上陸に端を発するガダルカナル島の戦いに参戦することとなった。

ブルース・マッカンドレス
生誕 1911年8月12日
ワシントンD.C.
死没 (1968-01-24) 1968年1月24日(56歳没)
ワシントンD.C.
所属組織 アメリカ海軍
軍歴 1932 – 1952
最終階級

海軍少将

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