プリンス・ビラ
ピーラポンパーヌデート・パーヌパン親王(Prince Birabongse Bhanudej Bhanubandh, タイ語 : ร้อยเอก พระวรวงศ์เธอ พระองค์เจ้าพีรพงศ์ภาณุเดช หรือ พระองค์พีระ, 1914年7月15日 – 1985年12月23日)は、タイ王国の王子でアジア人初のF1ドライバーである。もっとも後生まで生きたラーマ4世(モンクット)の孫でもある。
「プリンス・ビラ」または「B・ビラ」はヨーロッパで名づけられた愛称であり、 本名はピーラポンパーヌデート親王(プラオンチャオ階級、タイ語:พระวรวงศ์เธอพระองค์เจ้าพีรพงศ์ภาณุเดช)である。元の名前はモムチャオ=ピーラポンパーヌデート・パーヌパン(タイ語:หม่อมเจ้าพีระพงศ์ภา๊ณุเดช ภาณุพันธุ์)であったが、その功績により1927年11月8日にラーマ7世によってプラオンチャオに格上げされ、現在の名前となった。
なお「プリンス・ビラ」の「ビラ」と言う表記は、格上げ以前の名前であるピーラポンパーヌデートのサンスクリット的ローマ字表記である「Birabongse Bhanutej」を略した物である。
パーヌパン家 | |
称号 | プラオンチャオ |
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全名 | ピーラポンパーヌデート |
出生 |
シャム、バンコク、王宮 |
1914年7月15日
死去 |
イギリス、ロンドン、バロンズ・コート駅 |
1985年12月23日(71歳没)
配偶者 | サリカ・カランタノンダ |
父親 | パーヌパントゥウォンウォーラデート親王 |
母親 | レック |
役職 | レーシングドライバー、実業家 |
反応