ヘイミッシュ・マッカン
ヘイミッシュ・マッカン(Hamish MacCunn, 1868年3月22日 – 1916年8月2日)は、スコットランドの作曲家、指揮者、教育者。
オペラやカンタータ、序曲、パートソング、器楽曲、歌曲などを作曲しており、いずれ作品でもスコットランドの様式が際立っている。ロンドンに居を構えつつも心からスコットランドの民謡を愛したマッカンは、生涯故郷の音楽と音楽界の第一人者であり続けた。
マッカンはジェームズ・マッカン(James MacCunn)という名前でグリーノックに生まれた。。父は船舶主であった。1883年に奨学金を獲得したマッカンはロンドンへ赴き、王立音楽大学に入学、ヒューバート・パリーやチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードの下で学んだ。マッカンの最初の成功作は1887年11月5日に水晶宮で演奏された序曲『山と湖の国』であり、この曲をもってマッカンの名は広く知られることになる。続けて発表された作品は、いずれもスコットランド風に色付けされたものだった。1888年から1894年にかけてマッカンは王立音楽大学の教授を務め、そこで長きにわたるマーマデューク・バートンとの芸術的協力関係並びに親交を築いた。
1889年、ジョン・ペティ画
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基本情報 | |
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生誕 |
1868年3月22日 イギリス スコットランド、グリーノック |
死没 |
イギリス イングランド、ロンドン |
1916年8月2日(48歳没)
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、指揮者、教育者 |
反応