ヘルベルト・オットー・ギレ
ヘルベルト・オットー・ヴィルヘルム・ヘルマン・ギレ(Herbert Otto Wilhelm Hermann Gille、1897年3月8日-1966年12月26日)は、ドイツの軍人。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の組織親衛隊(SS)の戦闘部隊武装親衛隊(Waffen-SS)の将軍。第5SS装甲師団「ヴィーキング」の師団長を務めた。最終階級は親衛隊大将(SS‐Obergruppenführer)および武装親衛隊大将(General der Waffen-SS)。
ドイツ帝国領邦ブラウンシュヴァイク公国(de:Herzogtum Braunschweig)のガンデルスハイム(de:Gandersheim)に工場経営者ハインリヒ・ギレ(Heinrich Gille)の息子として生まれた。ブラウンシュヴァイクのギムナジウムに通っていた1909年にベンスベルク(de:Bensberg)にあるプロイセン王国軍の士官学校(de:Kadettenschule)へ入学した。さらに1914年にはベルリンの大リヒターフェルデ(de:Groß-Lichterfelde)にあったプロイセン王国高級幼年士官学校(de:Preußische Hauptkadettenanstalt)に移籍した。
第一次世界大戦が開戦した後の1914年8月にバーデン大公国軍の野戦砲兵連隊に士官候補生(Fähnrich)として配属され、1915年1月に少尉(Leutnant)に昇進した。一級鉄十字章と二級鉄十字章を受章した。
第一次世界大戦敗戦後の1919年3月に軍を除隊。以降は1929年まで各地の農場で土地管理人の仕事をするようになった。この間の1922年から1926年にかけては鉄兜団に参加した。1929年から1933年にかけてはブラウンシュヴァイクで自動車企業のビジネスマンをしていた。1931年5月1日に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党し、12月に親衛隊(SS)に入隊した(ナチス党員番号537,337、親衛隊隊員番号39.854)。1933年4月20日には親衛隊少尉となり、1934年5月29日に武装親衛隊の前身親衛隊特務部隊に転属となる。はじめ親衛隊特務部隊第1連隊「ドイチュラント」(SS-Standarte 1 “Deutschland”) に配属されていたが、1936年10月、親衛隊大尉の時に第2連隊「ゲルマニア」に配属された。1935年1月3日にはゾフィー・シャルロッタ・メンネッケ(Sophie・Charlotte Mennecke)と結婚し、娘を一人もうけた。
1897年3月8日‐1966年12月26日 | |
東部戦線のギレSS大将、1944年
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生誕 |
ドイツ帝国 ブラウンシュヴァイク公国 ガンデルスハイム |
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死没 |
ドイツ連邦共和国(西ドイツ) ニーダーザクセン州 シュテム |
軍歴 |
1914年~1919年 1931年~1945年 |
最終階級 | 親衛隊大将 |
反応