ベニート・ムッソリーニ

ベニート・アミールカレ・アンドレーア・ムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini、1883年7月29日 – 1945年4月28日)は、イタリアの政治家、教師、軍人。

イタリア社会党で活躍した後に新たな政治思想ファシズムを独自に構築し、国家ファシスト党による一党独裁制を確立した。

王政後期のイタリア政界でイタリア社会党(PSI)の政治家として活躍、第一次世界大戦従軍後に同じ退役兵を集めてイタリア戦闘者ファッシ及び国家ファシスト党(PNF)を結党し、そのドゥーチェ(統領)となる。イタリアの政治学者ジョヴァンニ・アメンドラの全体主義、フランスの哲学者ジョルジュ・ソレルの革命的サンディカリスムなど複数の政治思想を習合させ、新たな政治理論としてファシズム(結束主義)を構築した。国家ファシスト党によるローマ進軍によって首相に任命され、1925年1月3日の議会演説で実質的に独裁体制を宣言し、同年12月24日に従来の首相職[注 2]より権限の強い「首席宰相及び国務大臣(イタリア語版)[注 3](イタリア語: Capo del governo primo ministro segretario di Stato)を新設し、同時に複数の大臣職を恒久的に兼務することで独裁体制を確立した(ムッソリーニ政府(イタリア語版))。

1936年、エチオピア帝国征服によりサヴォイア家が帝位を兼ねる様になると(イタリア帝国(英語版))、「帝国の建国者(イタリア語: Fondatore dell’Impero、フォンダトーレ・デッリンペーロ)」という名誉称号をサヴォイア家から与えられた。サヴォイア家の指導下にあった軍の掌握にも努め、大元帥(帝国元帥首席)に国王・皇帝ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と共同就任して統帥権を獲得した。十数年に亘る長期政権を維持していたが、明暗を分けたのは第二次世界大戦に対する情勢判断であった。当初、第一次世界大戦の様な塹壕戦による泥沼化を予想していたのに加え、世界恐慌による軍備の脆弱化から局外中立を維持していた。だが一ヶ月間という短期間でフランスが降伏に追い込まれる様子から、準備不足の中で日独伊三国同盟に基いた世界大戦への参加を決断した

ベニート・ムッソリーニ
Benito Mussolini
イタリア王国
首席宰相及び国務大臣
(国家指導者)
任期
1925年12月24日 [注 1] – 1943年7月25日
君主 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
前任者 自身(第27代首相)
後任者 ピエトロ・バドリオ
第27代イタリア王国首相
(閣僚評議会議長)
任期
1922年10月31日 – 1943年7月25日
君主 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
前任者 ルイージ・ファクタ
後任者 首席宰相及び国務大臣へ改組
イタリア帝国元帥首席
(大元帥・統帥権)
任期
1938年3月30日 – 1943年7月25日
前任者 創設
(エマヌエーレ3世と共同就任)
後任者 廃止
初代イタリア社会共和国統領
任期
1943年9月23日 – 1945年4月25日
前任者 創設
後任者 廃止
国家ファシスト党統領
任期
1921年11月9日 – 1943年7月27日
共和ファシスト党統領
任期
1943年9月18日 – 1945年4月25日
個人情報
生誕 (1883-07-29) 1883年7月29日
イタリア王国
エミリア=ロマーニャ州フォルリ=チェゼーナ県プレダッピオ市ドヴィア地区
死没 (1945-04-28) 1945年4月28日(61歳没)
イタリア社会共和国
ジュリーノ・ディ・メッゼグラ
死因 処刑
国籍 イタリア人
政党 イタリア社会党
(1901-1914)
自発的革命行動ファッショ(英語版)
(1914)
革命行動ファッショ(英語版)
(1914-1919)
イタリア戦闘者ファッシ
(1919-1921)
国家ファシスト党
(1921-1943)
共和ファシスト党
(1943-1945)
協力政党 国民ブロック
(1921-1924)
国民リスト
(1924-1926)
配偶者 イーダ・ダルセル
ラケーレ・グイーディ
子供 アルビーノ(イタリア語版)
ヴィットーリオ
ブルーノ(イタリア語版)
ロマーノ
エッダ
アンナ・マリア
出身校 フォルリンポーポリ師範学校修了
職業 教師、新聞記者、政治家、軍人
宗教 カトリック(形式上)
無神論者
称号・勲章 聖アヌンツィアータ勲章
聖マウリッツィオ・ラザロ勲章
マルタ騎士勲章
バス勲章
ドイツ鷲勲章
大勲位菊花大綬章
署名
兵役経験
所属組織 イタリア王国
軍歴 1914-1945
最終階級 軍曹(第一次世界大戦)
大元帥(第二次世界大戦)
戦闘 第一次世界大戦
第二次世界大戦

反応