ベルンハルト・クルーセル
ベルンハルト・ヘンリク・クルーセル(Bernhard Henrik Crusell,1775年10月15日 – 1838年7月28日[注 2])は、スウェーデン系フィンランド人のクラリネット奏者、作曲家、翻訳家。「古典派における最も重要で最も国際的に知られたフィンランド生まれの作曲家であり、まさにシベリウス以前の傑出した作曲家。」と評される。
クルーセルはフィンランド、ウーシカウプンキの貧しい製本屋の家庭に生まれた。祖父のベルンハルト・クルセリウス(-Kuruselius)はトゥルクとストックホルムで製本業を学び、ポリに移り住んだ。そこで9人の子を儲け、その中で父と同じく製本業の道に進んだヤコブ(Jakob)がクルーセルの父である。1765年、見習い期間を修了したヤコブはウーシカウンプキに移り、そこでヘレナ・イランダー(Helena Ylander)と結婚したが、彼女はその約1年後に亡くなってしまう。ヤコブは1769年にマルガレタ・メスマン(Margaretha Messman)と再婚し、4人の子どもを授かる。しかしその中で大人になれたのはベルンハルトだけであった。クルーセルは後に、この頃の生活について三人称でこう述べている。
1826年 ヨハン・サンドベリ[注 1]画
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基本情報 | |
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生誕 |
1775年10月15日 フィンランド ウーシカウプンキ |
死没 |
スウェーデン ストックホルム |
1838年7月28日(62歳没)
ジャンル | クラシック |
職業 | クラリネット奏者、作曲家、翻訳家 |
反応