ホセ・アカスソ
ホセ・ハビエル・アカスソ(José Javier Acasuso, 1982年10月20日 – )は、アルゼンチン・ミシオネス州ポサーダス出身の男子プロテニス選手。「チュチョ」(Chucho)という愛称がある。ATPツアーでシングルス3勝、ダブルス5勝を挙げた。彼は男子テニス国別対抗戦デビスカップアルゼンチン代表選手として、2006年と2008年の2度チームを準優勝に導いた。4大大会では、2005年全仏オープン男子シングルス4回戦進出が自己最高成績である。自己最高ランキングはシングルス20位、ダブルス27位。私生活では左利きだが、テニスだけは右利きで、バックハンド・ストロークは片手打ち。「アカスーソ」の表記も多い。
アカスソは祖父が経営するテニスクラブで、2歳の時からテニスを始めた。少年時代はテニスとバスケットボールをプレーしていたが、12歳の時にテニスへの専念を決意する。1999年に17歳でプロ入り。2002年7月、オレンジ・ワルシャワ・オープン決勝で同じアルゼンチンのフランコ・スキラーリを2-6, 6-1, 6-3で破り、ツアー初優勝を果たす。2004年にシングルス・ダブルスで1勝ずつを獲得。2005年全仏オープン男子シングルスでアカスソは4回戦に進出し、ここで4大大会の自己最高成績を出した。2回戦で第3シードのアンディ・ロディックを3-6, 4-6, 6-4, 6-3, 8-6の大逆転で破った。4回戦では同じアルゼンチンのマリアノ・プエルタに4-6, 1-6, 1-6のストレートで完敗した。この年はダブルスで同じアルゼンチンのセバスティアン・プリエトと組んだ優勝が2つある。
ホセ・アカスソがデビスカップアルゼンチン代表となったのは、ようやく2006年になってからである。アカスソは最上位カテゴリーのワールドグループの1回戦・準々決勝・準決勝・決勝戦のすべてに起用され、アルゼンチン代表を1981年以来25年ぶり2度目の決勝に導いた。決勝のロシア戦は、モスクワにあるオリンピック・スタジアムで行われた。2勝2敗で迎えた最終第5試合のシングルス戦に起用されたアカスソは、最後の大詰めの舞台でマラト・サフィンに3-6, 6-3, 3-6, 6-7で敗れてしまい、アルゼンチンは25年ぶりのチャンスを逃した。2年後の2008年、アルゼンチン代表は2年ぶり3度目の決勝進出を果たす。今度はホームでスペインを迎えたが、ここでもアカスソがシングルス第4試合でフェルナンド・ベルダスコに3-6, 7-6, 6-4, 3-6, 1-6のフルセットで敗れ、初優勝はならなかった。
その後はランキングを大きく落としてしまいATPチャレンジャーツアーを中心に転戦していた。2011年全仏オープンの予選1回戦で敗退した試合が最後の出場になり、2012年2月に現役引退を正式に発表した。
ホセ・アカスソ
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基本情報 | |
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フルネーム | José Javier Acasuso |
愛称 | チュチョ (Chucho) |
国籍 | アルゼンチン |
出身地 | 同・ポサーダス |
居住地 | 同・ブエノスアイレス |
生年月日 | 1982年10月20日(36歳) |
身長 | 190cm |
体重 | 86kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1999年 |
引退年 | 2012年 |
ツアー通算 | 8勝 |
シングルス | 3勝 |
ダブルス | 5勝 |
生涯通算成績 | 285勝272敗 |
シングルス | 193勝183敗 |
ダブルス | 95勝89敗 |
生涯獲得賞金 | $3,642,422 |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 2回戦(2002・03) |
全仏 | 4回戦(2005) |
全英 | 1回戦(2001-05・09) |
全米 | 3回戦(2009) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 3回戦(2006) |
全仏 | ベスト8(2009) |
全英 | 1回戦(2003・05・09) |
全米 | 2回戦(2005) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 20位(2006年8月14日) |
ダブルス | 27位(2006年2月6日) |
反応