ホーランド・スミス

ホーランド・マクテイラー・スミス(Holland McTyeire Smith、1882年4月20日 – 1967年1月12日)はアメリカ海兵隊の軍人、最終階級は大将。当時のアメリカ海兵隊における上陸作戦のエキスパートとして「水陸両用戦の父」と呼ばれ、血なまぐさい状況が引き起こされることが確実な敵前強行上陸と太平洋戦争の島嶼での戦闘で特徴的なその後の殲滅戦を冷徹に受け入れることができる鉄の意志を持った人間であった。

スミスは1882年4月20日アメリカ合衆国アラバマ州ラッセル郡でジョン・ウェズリー・スミスとコルネリア・キャロライン・マクタイラー・スミスの間に生まれた。1901年にAlabama Polytechnic Institute(現・オーバーン大学)から科学の学士号を取得した。スミスは既に軍人志望の意思を固めており、アラバマ州兵の騎兵隊に入って軍曹(First Sergeant)となった。一方で、スミスは1903年にアラバマ大学から法学の学士号を取得し、モンゴメリー郡で1年間法律を学んだ。スミスは陸軍将校への任官を志望していたが、陸軍に欠員がなかったため、1905年3月20日に海兵隊少尉に任官し、海兵隊将校となった。

1906年4月アナポリスでの教育課程を修了。第一次世界大戦におけるフィリピンの戦いでは部下たちから「ハウリン・マッド」のニックネームをつけられるほどの勇戦を見せた。同大戦中にはアメリカ陸軍指揮幕僚大学が休校中(1916-20年)のため、フランスのLangresラングルに設置された Army General Staff College(AGSC)陸軍幕僚大学(1917.11~1918.12)に、海兵隊から入学した最初の6人の士官の一人として入学。1918年2月に卒業して上級指揮官への道を踏み出した。

中将時代のホーランド・M・スミス
渾名 ハウリン・マッド
生誕 1882年4月20日
アラバマ州 シール
死没 (1967-01-12) 1967年1月12日(84歳没)
カリフォルニア州 サンディエゴ
所属組織 アメリカ海兵隊
軍歴 1905 – 1946
最終階級 海兵隊大将
テンプレートを表示

反応