ポール・ルーニョン

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ポール=ルイ・ルーニョン(Paul-Louis Rougnon, 1846年8月24日 – 1934年12月11日)は、フランスの作曲家、ピアニスト、音楽教師。

ルーニョンはポワチエにルイ・ルーニョンとクレール・クロチルド・ロバン(Claire Clotilde Robin)夫妻の子として生まれた。リセ・ボナパルト(Lycée Bonaparte 現在のリセ・コンドルセ(英語版))で学んだ彼は1861年に聴講生としてパリ音楽院に入学し、翌1862年には正式な学生となった。彼はエドゥアール・バティスト、フランソワ・バザン、アンブロワーズ・トマ、アントワーヌ・マルモンテルそしてセザール・フランクといった名手らの下でピアノ、音楽理論、作曲を学んだ。ルーニョンは1865年に音楽理論、1868年に和声学、1870年に対位法で学位を取得している

1873年、27歳となったルーニョンはトマが院長を務めるパリ音楽院の教授に就任した。彼は1921年に退官するまでの間、音楽理論、対位法、フーガの講座を受け持った。彼の門下からはアルフレッド・コルトー、イヴ・ナット、フェルナン・ウーブラドゥ、ノエル・ギャロン、アンリ・ミュレらが輩出している。教育活動の傍ら、彼はオルフェオン(フランス語版)やSociétés musicales mutuellesといった合唱団をまとめる役割も果たしており、特にこれらの合唱団のための合唱作品を作曲している。20世紀に入ると彼は『Piano-Soleil』、『Le Monde Musical』、『Le Ménestrel』、『Le Monde Orphéonique』、『L’Harmonie』といった様々な商業誌と共同での仕事を行うようになった。

1885年
基本情報
生誕 1846年8月24日
フランス王国 ポワチエ
死没 (1934-12-11) 1934年12月11日(88歳没)
フランス共和国 サン=ジェルマン=アン=レー
ジャンル クラシック
職業 作曲家、ピアニスト、教育者

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