マジック・ジョンソン
アーヴィン・“マジック”・ジョンソン・ジュニア(Earvin “Magic” Johnson Jr.、1959年8月14日 – )は、アメリカ合衆国ミシガン州ランシング出身のプロバスケットボール選手で、実業家。80年代にラリー・バードやマイケル・ジョーダンらとともにNBAの世界的ブームを牽引したスーパースターであり、そのプレー、実績から歴代最高のポイントガード、ひいてはマイケル・ジョーダンやカリーム・アブドゥル・ジャバー等と並びNBA史上最高のプレイヤーの1人と評される。
選手時代にはNBAでポイントガードとしてプレーし、1980年代にロサンゼルス・レイカーズで5回の優勝に貢献する(1980年、1982年、1985年、1987年、1988年)。1991年にHIV感染を理由に引退。1996年にNBA50周年を記念した「歴代の偉大な50人の選手(NBA50周年記念オールタイムチーム)」に選ばれた。2002年に殿堂入りした。ポイントガードからセンターまで全てでプレーすることができたため身長によるポジションの概念を覆し、それまで得点の陰に隠れ目立たないプレーであったパスを派手で華やかなものに変え、今では花形プレーの1つとされるノールックパスを世に広めた革命的な存在であった。
また、レギュラーシーズンの通算勝率73.95%(670勝236敗)は18-19シーズン終了時にカワイ・レナードに抜かれるまで歴代1位であった。
ミシガン州ランシングという小さな町で父アーヴィン・シニアと母クリスティンの間の7人兄弟の4番目として生まれた。両親は共に南部出身の黒人だったが、自動車関係の仕事を求めてミシガン州に移り住んできた。父親はゼネラルモーターズの傘下の会社で働くほか、副業もこなしていた。母親も学校の用務員など常に何かの仕事に就いていた。少年時代からまずは父親を相手にバスケットボールを始め、少年チームに参加し、バスケットボール漬けの日々を過ごした。
中学時代からすでに仲間内で一番の長身で、運動能力も抜群だった。一試合で48点をあげたこともあったという。その頃からミシガン州でも有名な黒人がほとんどを占めるセクストン高校への進学を夢見はじめる。バスケットの強豪校として知られる高校でプレーし、スターとなることが彼の当時の一番の夢だった。
2013年のジョンソン
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引退 | ||||||||||||
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殿堂 | バスケットボール殿堂 2002年 | |||||||||||
永久欠番 | レイカーズ 32 | |||||||||||
ポジション(現役時) | PG | |||||||||||
身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) | |||||||||||
体重(現役時) | 105kg (231 lb) | |||||||||||
基本情報 | ||||||||||||
本名 | Earvin Johnson Jr. | |||||||||||
愛称 | Magic(マジック) | |||||||||||
ラテン文字 | Magic Johnson | |||||||||||
誕生日 | 1959年8月14日(60歳) | |||||||||||
国 | アメリカ合衆国 | |||||||||||
出身地 | ミシガン州ランシング | |||||||||||
出身 | ミシガン州立大学 | |||||||||||
ドラフト | 1979年 1位 | |||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||
1979–1991, 1996 | ロサンゼルス・レイカーズ | |||||||||||
指導者経歴 | ||||||||||||
1994 | ロサンゼルス・レイカーズ | |||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||
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代表歴 | ||||||||||||
キャップ | アメリカ合衆国 1992 | |||||||||||
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反応