マッツ・ビランデル

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マッツ・ビランデル(Mats Wilander、1964年8月22日 – )は、スウェーデン・ヴェクショー出身の元男子プロテニス選手。ビョルン・ボルグ、ステファン・エドベリと並んで、スウェーデンの男子テニス界の黄金期を築いた3強豪のひとりである。4大大会でシングルス通算「7勝」を挙げ、ダブルスでも1986年のウィンブルドンで優勝した。彼は4大大会男子シングルスで、クレーコート・芝コート・ハードコート、すべてのサーフェスを制した史上2人目の選手でもある(現在まで、ジミー・コナーズ、ビランデル、アンドレ・アガシ、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチの6人のみが達成した)。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス3位。ATPツアーでシングルス33勝、ダブルス7勝を挙げた。右利きの選手。

1981年にプロ入り。1982年の全仏オープンにて、17歳9ヶ月の若さで4大大会初優勝。その決勝戦ではアルゼンチンのベテラン選手、ギリェルモ・ビラスとの大熱戦を制し、大会初出場で初優勝を飾った。直後の1983年1月に先輩のビョルン・ボルグが突然の引退表明をしたため、ビランデルに対するスウェーデンのスポーツ界の期待が高まった。1983年と1984年に全豪オープンで大会2連覇を達成する。1985年までの全豪オープンは、「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで12月の年末に開催されていた。1985年には全仏オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たした。1986年はシングルス部門ではやや不振の年となったが、ウィンブルドンではヨアキム・ニーストロムと組んだダブルスで初優勝を飾っている。翌1987年は調子を取り戻し、全仏オープンと全米オープンでは決勝に進出する。しかしどちらもイワン・レンドルに敗れてしまい、準優勝に終わった。

マッツ・ビランデルは1988年にキャリアの最盛期を迎え、ウィンブルドンを除く4大大会年間3冠を獲得した。全豪オープン決勝ではパット・キャッシュ、全仏オープン決勝ではアンリ・ルコントを破り、それぞれの大会で地元選手の優勝を阻止している。ところが、最も苦手な芝生のウィンブルドンで、男子テニス界で“スウェーデン・キラー”と呼ばれてきたチェコスロバキアのミロスラフ・メチージュに準々決勝で敗れ、年間グランドスラムのチャンスは消えた。4大大会年間最終戦の全米オープンでは、決勝でイワン・レンドルと「4時間55分」に及ぶ激戦を繰り広げて、悲願の大会初優勝を果たす。年間3冠獲得は1974年のジミー・コナーズ以来14年ぶりの快挙達成であった。ビランデルはこの勝利により、レンドルから世界ランキング1位のポジションを奪取した。

しかし1989年に入ると、ビランデルのテニス成績は急降下を始める。全豪オープンでは2回戦でインドのラメシュ・クリシュナンに敗れ、全仏オープンでも準々決勝でソ連のアンドレイ・チェスノコフに敗れ去る。年頭には1位だった世界ランキングも下降の一途をたどり、夏の終わりには5位に転落していく。そして全米オープンでは2回戦で当時18歳のピート・サンプラスに敗れ、一気に前年までの輝きを失っていった。1990年全豪オープンで準決勝に進出したものの、1988年当時の輝きはもう戻らなかった。

マッツ・ビランデル
基本情報
フルネーム Mats Arne Olof Wilander
国籍  スウェーデン
出身地 同・ヴェクショー
生年月日 (1964-08-22) 1964年8月22日(55歳)
身長 182cm
体重 77kg
利き手
バックハンド 両手打ち
殿堂入り 2002年
ツアー経歴
デビュー年 1981年
引退年 1996年
ツアー通算 40勝
シングルス 33勝
ダブルス 7勝
生涯通算成績 739勝349敗
シングルス 571勝222敗
ダブルス 168勝127敗
生涯獲得賞金 $7,976,256
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1983・84・88)
全仏 優勝(1982・85・88)
全英 ベスト8(1987-89)
全米 優勝(1988)
優勝回数 7(豪3・仏3・米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1984)
全仏 ベスト4(1985)
全英 優勝(1986)
全米 準優勝(1986)
優勝回数 1(英1)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(1984・85・87)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(1988年9月12日)
ダブルス 3位(1985年10月21日)

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