マニー・パッキャオ
マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao、1978年12月17日 – )は、フィリピンのプロボクサー、政治家、フィリピンプロバスケットボールリーグのバスケットボール選手兼ヘッドコーチ。本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ (Emmanuel Dapidran Pacquiao)。ブキドノン州キバウェ出身。パッキアオ、パキャオとも表記される。史上2人目の6階級制覇王者(海外では8階級制覇と紹介されることが多い)。元WBC世界フライ級王者。元IBF世界スーパーバンタム級王者。元WBC世界スーパーフェザー級王者。元WBC世界ライト級王者。元WBO世界ウェルター級王者。元WBC世界スーパーウェルター級王者。現WBA世界ウェルター級スーパー王者。現在のプロモーターはTGBプロモーションズ所属でMPプロモーションを率いるプロモーターでもある。
1997年6月26日 – 1998年9月(返上)
1998年12月4日 – 1999年9月17日(剥奪)
1999年12月18日 – 2001年6月(返上)
2001年6月23日 – 2003年(返上)
2005年9月10日 – 2008年4月(返上)
2008年3月15日 – 2008年6月16日(返上)
2008年6月28日 – 2009年2月24日(返上)
2009年11月14日 – 2012年6月9日
2010年11月13日 – 2011年2月(返上)
2014年4月12日 – 2015年5月2日
2016年11月5日 – 2017年7月2日
2018年7月15日 – 現在
1978年12月17日にフィリピン、ミンダナオ島中部のブキドノン州キバウェで母親と2度目の結婚相手との間に6人兄弟の4男として産まれる。一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家であった。パッキャオが初等学校6年の時、父親が別の女性と同棲しているのを母親が見つけ両親が離婚し、母親が工場のパートタイムや野菜の路上販売で一家の家計を支えるようになる。パッキャオはミンダナオ島南部の南コタバト州ジェネラル・サントスの初等学校を卒業するが、貧困のため中等学校を中退し、家計を助けるため路上でフィリピンのパン「パン・デ・サル」や花や煙草を売っていた。その後建設作業員として働いていたこともある。2000年5月10日にジンキー夫人と結婚、3人の息子と2人の娘がいる。
2001年6月23日にIBF世界スーパーバンタム級王者のレーロホノロ・レドワバに挑戦者予定だった選手二人が相次いで故障で出場を辞退した際、トレーナーのフレディ・ローチに挑戦者に急遽抜擢され、KO勝ちで王座を奪取したことが、一試合で2,000万ドル以上を稼ぐ名ボクサーへの大きな一歩となった。アメリカで名前が売れ始めたばかりだったホルヘ・エリセール・フリオ戦ではマイケル・バッファーに「The Destroyer(破壊者)」というニックネームでコールされたが、その後、コンピューターゲームのパックマンにひっかけて「Pacman(パックマン)」というニックネームが定着した。また、ラテン系のボクサー達を次々と倒したことから「The Mexicutioner(Mexico または Mexican と executioner を合わせた造語。メキシカンを処刑する者の意)」とも呼ばれた。本人は「それは私だからということではない。私の階級にたまたまメキシコ人がたくさんいただけだ。そんなふうに呼ばないで欲しい」とデラホーヤ戦の前日会見でコメントしている。
2011年7月2日、アラネタ・コロシアムにて
|
|
基本情報 | |
---|---|
本名 | エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ |
通称 |
Pacman(パックマン) Mexican Killer(メキシカン・キラー) The Destroyer(破壊者) |
階級 | ライトフライ級 – スーパーウェルター級 |
身長 | 168cm |
リーチ | 170cm |
国籍 | フィリピン |
誕生日 | 1978年12月17日(40歳) |
出身地 | ブキドノン州キバウェ |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 71 |
勝ち | 62 |
KO勝ち | 39 |
敗け | 7 |
引き分け | 2 |
反応