マーヴィン・ルロイ
マービン・ルロイ(Mervyn LeRoy, 1900年10月15日 – 1987年9月13日)は、アメリカ合衆国の映画監督・映画プロデューサー。カリフォルニア州サンフランシスコ出身。両親はユダヤ人。
1906年のサンフランシスコでおきた大地震に遭遇し、彼と父親は生き残ったがすべてを失ってしまう。生活のために新聞売りをしたり、タレント・コンテストに出場したり、12歳の時にはすでにヴォードヴィルに出演し、コンビ「ルロイ&クーパー」を結成。歌と物真似を得意とした。
その後、仕事を求めてハリウッドに行き、ブロンコ・ビリー・アンダーソン主演の西部劇に端役として出演。映画プロデューサーだった従兄弟のジェシー・L・ラスキーを頼ってフェイマス・プレイヤーズ・ラスキー・スタジオ(のちのパラマウント映画)に入社。
撮影所の衣装部の助手、サイレント映画のエキストラ、カメラマンのアシスタントなどの仕事を経て、俳優としても出演を続け、その後、ファースト・ナショナル社(のちにワーナー・ブラザースに買収)に移籍すると、コメディ映画の脚本家として多くのコメディの執筆を手掛ける。
マーヴィン・ルロイ(右)と皇太子殿下(左)、昭和28年(1953年)
|
|||||||
生年月日 | 1900年10月15日 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
没年月日 | 1987年9月13日(86歳没) | ||||||
出生地 | サンフランシスコ | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||
配偶者 |
Edna Murphy (1927-1933) Doris Warner (1934-1942) Kitty Spiegel (1946-?) |
||||||
|
反応