ミハイル・グリンカ
ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ(ロシア語:Михаил Иванович Глинка、ミハイール・イヴァーナヴィチュ・グリーンカ:Mikhail Ivanovich Glinka、1804年6月1日スモレンスク近郊ノヴォスパスコイェ Novospasskoye Новоспасское – 1857年2月15日ベルリン)は国外で広い名声を勝ち得た最初のロシア人作曲家。「近代ロシア音楽の父」と呼ばれる。ウクライナ系。
グリンカは貴族で富裕な地主の家庭に第2子として生まれ、子ども時代から音楽に興味を持っていた。少年のころに体験した祖国戦争と農奴オーケストラが演奏する民謡の編曲が、成長してからの彼の音楽に影響を与えたといわれる。
基本情報 | |
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出生名 | Михаил Иванович Глинка |
生誕 |
1804年6月1日 ロシア帝国 ノヴォスパスコイェ |
死没 |
ドイツ連邦 プロイセン王国 ベルリン |
1857年2月15日(52歳没)
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
反応