モーリッツ・ハウプトマン
モーリツ(またはモーリッツ)・ハウプトマン(Moritz Hauptmann, *1792年10月13日 ドレスデン – †1868年1月3日 ライプツィヒ)はドイツの音楽理論家・音楽教師・作曲家・ヴァイオリニスト。
ドレスデンに生まれ、ヴァイオリンをショルツに、ピアノをフランツ・ランスカに、作曲をグローセと(カール・マリア・フォン・ウェーバーのライバルだった)フランチェスコ・モルラッキに師事。その後ルイ・シュポーアの薫陶を受けてヴァイオリニストや作曲家としての学習を仕上げており、その後もシュポーアとは深い友情で結ばれることとなった。1812年にシュポーアの宮廷楽団にヴァイオリン奏者として入団。その後ロシア帝国に行き、1821年までもっぱら個人宅の家庭教師としていくつかの契約を結び、また音楽的な関心を、主に音響学を主題とする数学的な研究に振り替えた。ドイツに戻ると、1822年にカッセル宮廷楽団に配属され、再び楽長のシュポーアと活動を共にしている。この頃に初めて作曲や音楽理論の指導を始め、フェルディナント・ダヴィッドやヨハン・フリードリヒ・ブルクミュラーらを指導した。一時期は建築家としても雇われたが、結局は音楽の道を進むことになり、悲劇的なグランドオペラ《マティルデ “Mathilde”》を作曲した。
1842年にハウプトマンは、ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディの推薦状を得て、ライプツィヒ・トーマス教会附属学校のカントルに就任し、終生その地位にあった。それから間もない1843年には、ライプツィヒ音楽院の音楽理論の教授に就任している。1850年には、オットー・ヤーンと共同でバッハ協会を設立し、その初代会長を務めた。『旧バッハ全集』の最初の3巻を編集したのもハウプトマンである。トーマスカントル在任中に、教育者としての独自の才能が繰り広げられ、たくさんの熱心な(そして多少なりとも際立った才能の)門人たちのおかげでその名声は周知のものとなった。
基本情報 | |
---|---|
生誕 | 1792年10月13日 |
出身地 | ドイツドレスデン |
死没 | 1868年1月3日(75歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 音楽理論家・音楽教師・作曲家・ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
反応