ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク

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ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck, 1562年4月 – 1621年10月16日 アムステルダム)は、オランダの作曲家・オルガニスト。ルネサンス音楽の末期からバロック音楽の最初期において、北ドイツ・オルガン楽派の育成に寄与した。音楽家としても教育者としても、イタリアのフレスコバルディに匹敵する存在である。スヴェーリンクと表記されることもある。

彼の肖像は1970年代のオランダの25ギルダー紙幣に描かれていた。

デーフェンテル出身。一族の多くは音楽家で、父・息子(ディルク・ヤンスゾーン・スウェーリンク)ともにオルガニストであった。オランダでヤン・ヴィレムスゾーン・ロシーに学んだといわれる。ヴェネツィアの有名な音楽理論家ツァルリーノの「和声教程」に精通していたことから、ツァルリーノにも師事したとされたことがあったが、実際には祖国を離れたことはほとんどなかった。

スウェーリンクは、ネーデルラント鍵盤楽派の発展の頂点を占めており、実際に対位法の複雑さや洗練においてバッハ以前の鍵盤音楽を代表するひとりである。またフランドル楽派の末裔とも見なされ、声楽曲にも熟練した作曲家であり、250曲以上の声楽曲(シャンソン、マドリガーレ、モテット、詩篇唱)を残した。

基本情報
生誕 1562年4月
ネーデルラント17州
死没 1621年10月16日 (59歳没)
ネーデルラント連邦共和国
アムステルダム
ジャンル ルネサンス音楽
バロック音楽
北ドイツ・オルガン楽派
職業 作曲家
オルガニスト
担当楽器 オルガン

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