ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク
ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク(またはヨハン・ラディスラウス・ドゥセック、Johann Ladislaus Dussek, チェコ語:Jan Ladislav Dusík, 1760年2月12日ボヘミア東部・チャースラフ Čáslav/Tschaslau – 1812年3月20日サン=ジェルマン=アン=レー)は、イギリス・ピアノ楽派の基礎を築いたボヘミア人作曲家・ピアニスト。「ソナチネ・アルバム」で知られており、日本ではドゥセック、ドゥシェック、デュセック、デュシェックなどと呼ばれている。フランティシェク・クサヴェル・デュシェックと混同されがちなので要注意である。また、妻のソフィア・コッリ=デュセックも作曲家で、その作品には夫の作品として出版されたものもある。
ドゥシーク家は職業音楽家としてはすこぶる長い歴史があり、少なくとも作曲家の祖父の代までさかのぼり、1970年代までモラヴィアの分家に受け継がれていた。その中でヤン・ラディスラフ・ドゥシークは「大デュセック」としてよく知られている。
基本情報 | |
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生誕 |
1760年2月12日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、チャースラウ(現: チェコ、チャースラフ) |
死没 |
フランス帝国、サン=ジェルマン=アン=レー |
1812年3月20日(52歳没)
職業 | 作曲家、ピアニスト |
反応