ラザフォードオールコック

ラザフォードオールコック

イギリス人外交官、初代駐日総領事。ロンドンの郊外で生まれ、はじめ医師をしたがのちに外交官に転じた。極東に興味を抱くようになり、上海、広東の領事を経て1859年(安政6)に初代駐日総領事に就任、高輪の東禅寺にイギリス総領事を開いた。1861年(文久元)の「第一次東禅寺事件」では水戸脱藩浪士に襲撃され危うく難を逃れたが、オールコックは幕府に厳重抗議を行い、以後、横浜にイギリス艦隊が常駐するようになった。一時帰国ののち再び日本に帰任、オールコックが不在の間に「第二次東禅寺事件」「生麦事件」などが起こっており日本国内の攘夷の機運が非常に高まっていた。これを危険に思ったオールコックは日本に攘夷が不可能であることを思い知らせるため、本国イギリスおよび、フランス、オランダ、アメリカ4カ国による長州藩への懲罰攻撃を決意、1864年(元治元)、四カ国連合艦隊による下関攻撃が行われ長州藩に大打撃を与えた(下関戦争)。なお、イギリス政府は日本との全面戦争になりかねないとし、軍事行動を禁じていたがオールコックには届いておらず、戦後、オールコックは責任を問われ駐日公使を解任されイギリスへ帰国した。幕末の日本で活躍したオールコックは忙しい職務の合間をぬって、日本を見聞したことでも知られ、外国人として初めて富士山に登ったほか、熱海にも旅行している。著作に幕末の日本を紹介した『大君の都』がある(大君とは将軍のこと)。

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