ラリー・カールトン
ラリー・カールトン(Larry Carlton、1948年3月2日 – )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州トーランス出身のジャズ・フュージョン界を代表するギタリスト、作曲家。ベーシストのトラヴィス・カールトンは実息で、ツアーにも同行したことがある。
6歳の頃からギターを始め、ハイスクール時代にはブルース・ギタリストのB.B.キングやジャズ・サックス・プレーヤーのジョン・コルトレーンに影響を受け、ジャズを演奏し始める。スリム・エドワーズやジョー・パスに師事した。1966年から1968年までL.A.ハーバー・カレッジ、1968年から1970年をロングビーチ州立大学で音楽を専攻した。サンディエゴで開かれた南カリフォルニア・ビッグ・バンド・コンテストで最優秀ソロイスト賞を受賞し、1968年にファースト・アルバム「With a Little Help from My Friends」をリリース。その後もソロでの経歴を重ね、1971年から1976年までジャズ・ロック・グループ、ザ・クルセイダーズに参加する。1977年にはワーナー・ブラザース・レコードと契約し、1978年から1984年に掛けて、6枚のソロ・アルバムを制作した。その楽曲と演奏に対し、4つのグラミー賞を受賞している。1970年代には、ロサンゼルスでセッション・ミュージシャンとしても活躍し、スティーリー・ダンやジョニ・ミッチェルも含む多数のアルバムに参加している。ローリング・ストーン誌のベスト・ギター・ソロに関する投票では、”Kid Charlemagne”(スティーリー・ダンのアルバム、The Royal Scamに収録)でのプレイが第3位に選ばれている。
1985年には、アコースティック・ジャズ・アルバム制作のために、MCAレコードと契約した。その成果が、アルバム「Alone, But Never Alone」である。この年から1990年の間、カールトンは様々なソロ・プロジェクトで活動し、再度グラミー賞を受賞している。しかし、アルバム「On Solid Ground」制作中の1988年4月、”Room 335″(南カルフォルニアにある自宅のプライベート・スタジオ)の外にいた青年に銃撃される事件が起きた。幸い一命はとりとめたものの、この銃撃により彼の声帯は破壊された上、左腕にも麻痺が残り、発声をしたりギターが演奏できるようになるまでには半年以上を要したほどの重傷であった。彼自身も重大な精神的外傷を負ったが、徹底的な治療とポジティブな持ち前の精神力で、最終的にはこのアルバムを完成させ、1989年に発表した。1991年からはブルース・アルバムのレコーディングを開始するが、ジャズ制作のオファーがあったため、制作は遅れることとなった。このブルース・アルバム「Renegade Gentleman」は、最終的には2年後の1993年にリリースされた。
1994年から1997年に掛けて多くのツアーに参加し、また、1995年にリー・リトナーとのデュエット・アルバム「Larry & Lee」をリリースした。1997年からはリトナーに代わり、スムーズジャズグループであるフォープレイに参加。リトナーと違い、それまであまり他のメンバーとのセッションが無かったため、参加当初は従来からのブルース志向に拍車が掛かるなど、グループ内での音楽性の違いがやや見受けられた。しかし、活動を続けるに従い、双方にリトナー時代と違った融合が生まれた新フォープレイの確立に成功し、ソロ活動においてもフュージョンとブルースをより上手く融合した、新しいカールトン・ミュージックを確立した。
基本情報 | |
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別名 | Mr. 335 |
生誕 | 1948年3月2日(71歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州トーランス |
ジャンル |
ロック フュージョン ジャズ ブルース |
職業 |
ギタリスト 作曲家 作詞家 音楽プロデューサー |
担当楽器 | ギター、ヴォーカル |
レーベル |
ワーナー・ブラザース・レコード MCAレコード GRPレコード RCA Victor 335 |
共同作業者 | ザ・クルセイダーズ フォープレイ |
公式サイト | 公式サイト |
著名使用楽器 | |
ギブソン・ES-335、フェンダー・テレキャスター |
反応