ルカ・マレンツィオ
ルカ・マレンツィオ(Luca Marenzio, 1553年? ブレーシャ近郊 – 1599年8月22日 ローマ)は、イタリア後期ルネサンス音楽の作曲家。当時を代表するもっとも著名なマドリガーレ作曲家の一人で、マドリガーレの後期の発展段階において、クラウディオ・モンテヴェルディによる初期バロック音楽への過渡期に先駆けて、おそらく最もすぐれた実践例を残した。甘美な抒情性を漂わせた作風から、アルカデルトの代表作になぞらえて、「気高く優美な白鳥」と評された。
ブレーシャで初期教育を積んでからおそらく数年間をマントヴァですごした後、ローマに移り、明らかに歌手として1578年までクリストフォロ・マドルッツォ枢機卿に仕える。枢機卿の没後はルイージ・デステ枢機卿の宮廷に仕えるが、マレンツィオが作曲家として名をなすのもこの時期である。1581年までにマレンツィオの作品は、マドリガーレ集の出版回数の高さや、彼のマドリガーレがアンソロジーに編集されて出版されることが次第に普通になっていったことからも分かるように、熱心な支持者を集めていった。1587年にはフランスに移り、2年にわたってフェルディナンド・デ・メディチに仕える。1589年にローマに戻り、生涯の大半を送ったが、1596年から1597年にはポーランドを訪問し、おそらくジグムント3世の宮廷音楽家となっている。ポーランド滞在中に健康を損ね、ローマに帰国してまもない1599年に他界した。
マレンツィオはモテットなどの宗教曲や、マドリガーレ・スピリトゥアーレ(聖句にもとづく世俗語歌曲)などもいくつか作曲しているが、作品中で圧倒的多数を占め、今なお死後の名声を守っているのは、厖大な数に登るマドリガーレである。20年間のマレンツィオの創作活動の中で、マドリガーレは作曲の様式と技法、それに響きの上で、変化をみせている。
基本情報 | |
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生誕 |
1553年? イタリア、プレーシャ近郊 |
死没 |
1599年8月22日 イタリア、ローマ |
ジャンル | マドリガーレ |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 後期ルネサンス |
反応