レディスミス・ブラック・マンバーゾ

レディスミス・ブラック・マンバーゾ│無料動画│267px ladysmith black mambazo

レディスミス・ブラック・マンバーゾ(英:Ladysmith Black Mambazo)は、イシカタミアやムブーベと呼ばれるスタイルで歌う南アフリカの男性コーラスグループである。彼らはアメリカ人歌手・ポール・サイモンのアルバム『グレイスランド』に参加したことで世界的に知名度を得て、その後3つのグラミー賞を含む様々な賞を獲得している。1960年にジョセフ・シャバララ(英:Joseph Shabalala)を中心に結成した彼らは、ゴールドディスクやプラチナディスクを記録し、南アフリカで最も多くのレコーディング数を誇るアーティストの1つとなった。このグループは、いまや人々に南アフリカとその文化を教える伝道者のような役割を果たしている。

レディスミス・ブラック・マンバーゾは家族である。兄弟、従兄弟で一緒に歌っていた。最近15年の間、引退と死のため、私は自分の息子4人を参加させた。彼らは、レディスミス・ブラック・マンバーゾの未来だ。使命とメッセージは続く。時が経ち、私のツアーが終了した後も、彼らは私の夢をやり続ける。私の息子ザムサンカ(トミー)は、グループのニューリーダーになる。このように、私が45年以上前にみた夢は21世紀まで続いていく。平和・愛・ハーモニーのメッセージは、けして黙ってはならないため、レディスミス・ブラック・マンバーゾは続けなければならない。我々はけして沈黙しない。そして我々は、世界中のファンと友人たちがこのメッセージを聞き続けることを望んでいる。

ありがとう!

ジョセフ・シャバララは、夢の中で聞いたイシカタミア(ズールー人の伝統的な音楽)のハーモニーに影響されて、1964年にレディスミス・ブラック・マンバーゾを結成した。グループは結婚式やその他の集会などで評判を得て、イシカタミアの大会に参加した。大会では彼らはとても高評価を得すぎたため、その後優勝資格は失われたものの、演奏自体は人々を楽しませるために歓迎された。彼らは1964年にイシカタミアのグループと認められたが、1950年代初期から一緒に歌っていた。そして、1973年に1stアルバム『Amabutho』を発表した。このアルバムは、その後に数多くリリースした作品と同様、ゴールドディスクを記録した。1986年のポール・サイモンとレディスミス・ブラック・マンバーゾの共演は、彼らレディスミス・ブラック・マンバーゾが世界的に知られる道を開くことになった。

レディスミス・ブラック・マンバーゾの前身は、「Ezimnyama (The Black Ones)」で、1960年12月にシャバララにより結成された。グループのメンバーは、シャバララの親類(兄弟や従兄弟など)で、彼らは同じ農場で一緒に歌っていた。彼らは conthoza(イシカタミアを表す1960年代のスラング)やムブーベを歌ってはいたが、まだレディスミス地区の外では知られていなかった

レディスミス・ブラック・マンバーゾ(2006年)
基本情報
別名 Ezimnyama (The Black Ones)
出身地 南アフリカ共和国 クワズール・ナタール州レディスミス
ジャンル イシカタミア、ムブーベ
活動期間 1960年-1964年(前身)
1964年-現在(レディスミス・ブラック・マンバーゾ)
公式サイト www.mambazo.com
メンバー Joseph Shabalala
Thamsanqa Shabalala
Sibongiseni Shabalala
Thulani Shabalala
Msizi Shabalala
Albert Mazibuko
Abednego Mazibuko
Russel Mthembu
Ngane Dlamini
旧メンバー Jockey Shabalala
Jabulani Dubazana
Inos Phungula
Ben Shabalala
Geophrey Mdletshe
Headman Shabalala
Milton Mazibuko
Funokwakhe Mazibuko
Joseph Mazibuko
Walter Malinga
Matovoti Msimanga

反応