ロドルフォ・グラツィアーニ
初代ネゲッリ侯ロドルフォ・グラツィアーニ(Rodolfo Graziani, Marchese di Neghelli、1882年8月11日 – 1955年1月11日)は、イタリア王国及びイタリア社会共和国の軍人、政治家。最終階級は陸軍元帥。
1882年8月11日、王都ローマ近郊に位置するラツィオ州フロジノーネ県フィレッティーノに医師の子として生まれる。当初は親の意向によりスビアーコの神学校に通っていたが、1903年に軍人になることを決意してモデナ陸軍士官学校(伊語版)に入校、陸軍少尉に任官した。1904年5月1日に中尉へ昇進、1906年にはローマの第1擲弾兵連隊に配属され、1908年にエリトリアに留学して現地で用いられているアラビア語とティグリニャ語を習得した。1911年、滞在中に毒蛇に噛まれる不運に遭い治療に一年を費やさなければならなくなった。しかしその直後に起きた伊土戦争で活躍する機会に恵まれ、陸軍大尉に昇進した。
1915年、第一次世界大戦にイタリア王国が参戦すると第131歩兵連隊の士官としてイソンヅォ戦線の山岳戦に従事、武功銅記章を受勲するなど幾度も戦功を上げ、昇進も重ねてピアーヴェ川の戦いでは陸軍中佐として第57歩兵連隊の連隊長を務めた。1918年、イタリア陸軍の最年少記録となる36歳での大佐昇進を果たし、自身も参加したヴィットリオ・ヴェネトの戦いでオーストリア・ハンガリー帝国軍は降伏した。
初代ネゲッリ侯 ロドルフォ・グラツィアーニ Rodolfo Graziani, Marchese di Neghelli OSML/OMS(英語版)/OCI(英語版) |
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イタリア社会共和国 初代国防大臣(伊語版) |
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任期 1943年9月23日 – 1945年4月25日 |
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首相 | ベニート・ムッソリーニ |
前任者 | 制度創設 |
後任者 | 制度廃止 |
イタリア陸軍 第16代参謀総長(伊語版) |
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任期 1939年 – 1941年 |
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君主 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 |
首相 | ベニート・ムッソリーニ |
前任者 | アルベルト・パリアーニ(伊語版) |
後任者 | マリオ・ロアッタ(伊語版) |
伊領リビア(英語版) 第2代総督(英語版) |
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任期 1940年7月1日 – 1941年3月25日 |
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君主 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 |
首相 | ベニート・ムッソリーニ |
前任者 | イタロ・バルボ |
後任者 | イータロ・ガリボルディ |
東アフリカ帝国第2代副王(英語版) | |
任期 1936年6月11日 – 1937年12月21日 |
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君主 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 |
首相 | ベニート・ムッソリーニ |
前任者 | ピエトロ・バドリオ |
後任者 | アオスタ公アメデーオ・サヴォイア |
伊領ソマリランド(英語版) 第9代総督(英語版) |
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任期 1935年3月6日 – 1936年5月9日 |
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君主 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 |
首相 | ベニート・ムッソリーニ |
前任者 | マウリツィオ・ラヴァ(Maurizio Rava) |
後任者 | アンジェロ・デ・ルーベン(Angelo De Ruben) |
伊領キレナイカ(英語版) 第10代総督(伊語版) |
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任期 1930年3月 – 1933年12月31日 |
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君主 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 |
首相 | ベニート・ムッソリーニ |
前任者 | ドメニコ・シシリアーニ(伊語版) |
後任者 | リビア総督(伊語版)に権限移行 |
個人情報 | |
生誕 |
イタリア王国ラツィオ州フィレッティーノ |
1882年8月11日
死没 |
イタリア共和国ラツィオ州ローマ |
1955年1月11日(72歳没)
政党 |
国家ファシスト党(1924-1943) →共和ファシスト党(1943-1945) →イタリア社会運動(1946-1955) |
出身校 | モデナ陸軍士官学校(英語版) |
専業 | 軍人 |
兵役経験 | |
所属組織 |
イタリア王国 イタリア社会共和国 |
部門 |
イタリア陸軍 イタリア社会共和国陸軍 |
軍歴 | 1903?1945 |
最終階級 | 陸軍元帥 |
戦闘 |
第一次世界大戦 第二次世界大戦 |
反応